3月23日(金):診断書の謎
今日は比較的ゆっくりできる日だ。月曜日と金曜日はこういう感じが続いている。サイトのこととかやることはたくさんあるけれど、今日は一切する気になれない。勉強して過ごした。7つほど論文を読む。それから。帰宅である。
今日は真っ直ぐ家に帰る。高槻の駅周辺を少しだけ歩いたが、変わり映えのしない光景だ。金曜日の夜だから呑んでる人もいる。千鳥足でフラフラ歩いていた。ああいう姿は人に見せてはいけないものだね。酒など飲まない方がやっぱりいいと思った。
それから、断るほど仕事が忙しいわけではないけれど、今日は一件仕事を断った。その人は上司から診断書を貰ってくるように言われたのだそうである。よくこういう話には直面するけれど、ウンザリするね。診断書を求めているのは上司である。その上司から僕に依頼があるのならまだ話が分かる。でも、その人は上司が求めている診断書を得るために自ら動いて、それで僕を探したわけだ。ご苦労なことである。でも、僕から見ると、上司がその人の何を「診断」してほしいと思っているのかまったく見えない。上司が何を求めているのかである。おまけにその「診断書」を上司は何に使おうとするのかも見えない。つまり、この診断書は誰の利益につながるものなのかという点である。こんな不明なことばかりで診断書を書いてくれと望む方がどうかしている。僕はその上司の常識を少しばかり疑いたくなった。
仮にそれで面接をやっても、それは診断書を書くための面接に過ぎないということだ。それも姿を現さない上司のためにやるということだ。バカバカしいにもほどがある。僕はその人に言ったよ。自分のためにやるカウンセリングなら大歓迎だと。でも、上司のために診断書をかくための面接なら、しない方がいいですよと。彼は納得された。それでいい。
この上司のように無邪気に考えている人が多いので困る。第一、僕のようなカウンセラーの診断書がどこまで効力があるのか、僕には不明なのだ。恐らく、何の力もないだろうと思う。
そして、こういう人はカウンセラーと一回面接すれば、診断書を書いてもらえると考えているようだ。とんでもない話である。何を診断するのかが明確でなくて、漠然とその人の性格傾向を診断するというのであれば、僕は少なくとも10回程度は面接を積まなければならないと考えている。費用は6万円だ。でもそれ以外の作業を僕はすることになるので、その分も請求する。総額7万円というところだ。
これには解説費は含まない。それくらいはサービスしましょう。「彼の中核的な症候は極めて精神病レベルであるが、神経症的な規制が十分形成されているので、根源的な不安が一次加工を経ずに混入する際には、神経症的な自我防衛機制により、精神病的破綻をきたすことはなく、その代理として身体に転嫁された心身症的症候を呈するようである」というような文章はおそらくチンプンカンプンに映るだろうから、説明をしなければならない。だから解説を付さなくてはならないのだけど、その解説料くらいはサービスしましょうということである。それよりも、その上司は本当に彼のそういうところを知りたいのかね。実にくだらない話だ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)