3月2日(木):一人の重み
今日は膝の具合が悪かった。痛みはましだけど、曲がらない感じがする。曲げようと思えば曲げることはできるのだけど、けっこう、苦労する。
この三日間、つまり火曜日から今日までということだが、書籍の執筆をメインにしようと計画していた。それなりに計画は遂行したものの、あまり捗らなかった。現在、いわばパーツを作っているような段階だ。それを組み合わせて全体にし、最終的に全体の整合性を持たせる、そういう段取りでやっていくつもりだ。パーツはできつつあるも、どうも全体が今一つ明確になっていない。パーツを作れば作るほど、全体が散漫になるような感じだ。これは何とかしないと。
とにかく、3月中にある程度形のあるものを作り上げる計画を立てている。後は夏までに修正を加えていけばいい。
この書籍のことで今は頭が一杯だ。多くの、細々した雑用を後回しにしてしまっている。他にも気になっていることが色々あるのだけど、すべてそっちのけにしてしまっている。サイトの更新も滞ったままだ。あまりよろしくないことだ。
今日の夜、職場を後にした時のことだ。僕は自分がたまらなく独りであることを痛感してしまった。特別何かがあったというわけではない。ただ、何をするにも自分でやらなければいけないという重みを感じてしまっただけのことだ。
とにかく生きていかないと。生まれたからには自分の生をまっとうしなくてはならない。一日一日、自分の軌跡を刻んでいかなければならない。ぼんやりしていると、時代の流れと世の中の波に飲み込まれ、自己を喪失してしまいそうだ。こういう時にこそ自分をしっかり持たなければと思う。自分を維持するというのは、本当に大変なことだ。流されるまま生きた方がどれほどラクかと思う。
どれだけ落ちぶれてもいいから、真実の生を送りたいと思う。
今日、木曜日はお酒を飲んでもいい日だったが、そんな気分になれず。最近は飲んでも、楽しくないばかりか、不快な経験をすることが多い。お酒を飲むことがつまらないことのように感じられてきた。もちろん、これからも飲むだろう。はっきり言って、酒は好きだ。ただ、今度からは家呑みをしようかとも考えている。
呑みに行くと、顔見知りに会う。その人たちと他愛もないお喋りをする。それはそれで愉しいひと時ではあるが、それだけだ。時にはそういうひと時を持つことも大切であるとは思うのだけど、それは一人であることの重みから目を背けようとしているのかもしれない。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)