3月19日(水):あるネットゲームについて
先日来られた10代のクライアントが、学校の休み期間中にあるネットゲームをやった。彼はそのゲームの影響を引きずっていた。僕はそのゲームについて聞いてみた。
僕はゲームをしないので分からないけれど、そのゲームについてネットで検索してみた。そこで得たいくつかの情報と彼の説明に基づいて、僕の考えているところのものを記述してみようと思う。
とにかくそのゲームは、救いようのない物語だそうだ。救いようがないというのは、絶望的というか希望が持てないような世界で、出口のないような物語だ。幾分、荒唐無稽で、多くのダブルバインド状況が含まれていて、アイデンティティと言うか自己の根幹の部分が揺さぶられるような体験を、人によってはしてしまうようだ。
物語にはいくつもの不幸で凄惨な場面が含まれている。ところが、絵そのものはほのぼのしていて、むしろ平和的な感じなのだそうだ。これはすでに一つのダブルバインドである。目で見ている対象と読んでいる対象とがあまりに解離している。絵だけみると平和な物語のように見えるけれど、読んでいる物語は悲惨なもので、絵の方を信じていいのか物語の方を信じていいのか、おそらくプレイヤーは混乱すると思う。
このダブルバインドから抜け出ようとすれば、どちらかに信を置かなければならない。物語の方が真実で絵は欺瞞だということにするか、その逆にするかである。それができない場合、プレイヤーの方が混乱してしまうことになると思う。
次に、登場するキャラたちがひどく曖昧な存在である。アイデンティティが確定していないキャラたちのようだ。主人公は一人の男性と女性であるようだ。男性にとって、この女性は他の存在と交代可能であり、その女性であろうと動物であろうと違いはないし、女性にとってもこの男性と他の男性とは交代が可能であるようだ。つまり、キャラの輪郭や境界が不鮮明なのだ。
さらにこのことに輪をかけるのが、物語にはクローン人間や宇宙人、モンスターなどが登場して、誰が誰なのか、誰が誰と関係を持っているのかが分からなくなるようだ。これもまたダブルバインド状況なのだ。一人の人物はその人物であると同時にその人物ではないという状況をプレイヤーに与える。
さらにややこしいことに、キャラとそのキャラのクローン人間や、宇宙人が寄生している人間、人間と宇宙人との間に生まれたモンスターなど、境界線が破壊されたような存在が数多く登場するようだ。境界や輪郭が不鮮明な存在というのは、非常に恐ろしく感じられる。人によってはこういう存在はその人の深い部分にあるものを揺さぶるかもしれない。
そうした存在の中に、プレイヤーが操作するキャラが入っていくわけだ。そして、操作するキャラは同一視されるから、プレイヤー自身がその中に入っていくという体験をしてしまうわけだ。非常に怖い体験をしてしまうのではないだろうか。
また、この物語自体が荒唐無稽で、クライアントの説明を聞いてもよく分からない部分がいくつもあった。しかし、物語もそうだが、このゲームの構造自体、込み入っている。その一つとして、キャラクターの精神世界のステージがわざわざ用意されていたりする。この精神世界のステージはいわばそのキャラのファンタジーの部分なのだ。
ところが、この精神世界のステージというファンタジーを設定することで、それまでの物語がファンタジーであると信じるという逃げ道がプレイヤーには閉ざされてしまう。こうして凄惨な物語は、プレイヤーにとってそれがファンタジーだということにしておけなくなり、真実味を帯びて迫ってくるのだと思う。
実際にゲームをしたわけではないので、あくまでも僕の個人的な憶測で綴ってきたのだけれど、あまり長々と書くのは控えよう。でも、最後に書いておきたいのは、物語のある場面のことだ。その場面は、僕には作者の悪意が感じられて仕方がないのだ。
ゲームを進めていくとなると、次のステージに移行していかなければならない。ある場面でモンスターを倒すのだ。それによって次のステージに進めるということなのだ。でも、そのモンスターが実はキャラと宇宙人との間に生まれたモンスターであることを後になって知らされる。そして、キャラはモンスターの死を嘆く。つまり、倒さなければ前に進めないのに、それは倒してはいけないということになっているのだ。これもまたダブルバインドではないだろうか。
こうして、モンスターを倒した後になって、そのモンスターを倒したことに対する罪責感情をプレイヤーは掻き立てられてしまうことになる。これはプレイヤーの内面をかなり掻き乱すのではないだろうかと思う。
このゲームのことはそれくらいにしておこう。僕は個人的にネットゲームは注意して遊ぶべきだと考えている。どういう人が作成したのか分からないからだ。このゲームのように、プレイヤーを二重拘束でがんじがらめにしてしまうようなものも他にいくつもあるかもしれず、うっかりそれをプレイしてしまって、後で引きずるというようなことも起きるだろうと思うからだ。
ところで、このゲームのことを教えてくれたクライアントのために一つ申し添えておきたい。このゲームをプレイした後、彼が示した兆候は彼の精神が健全であることを示している。ただ、彼が現在問題を抱えていて、心理的に弱っているためにその影響を強く蒙ってしまったのだ。
このゲームの世界は端的に言えば「病的」なのだ。彼が悪影響を受けるのは、彼の心がこの「病的」な世界に親和性を持たないから、つまり「健全」であるからその世界に対する拒絶反応を起こすのだ。その点は強調しておきたい。
ネットゲームをされる方に僕は一つ助言しておきたい。ゲームで遊ぶことを禁止する権利は僕にはないから、せめて安全で平和なゲームをするようにしてほしいと思う。プレイしていて嫌な気分になったりしたら、とにかくそのゲームを中断して、そのゲームの世界の外に出る必要があると僕は考える。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
ネットゲームはどういう人が作っているのかがはっきりしないだけに怖いと僕は思う。僕もいくつかやってみたゲームはあるし、少しばかりハマったゲームもある。しかし、中には、やはりと言うか、ちょっと問題を感じるゲームもあった。人によってはすごく影響を受けてしまうかもしれないので、要注意である。
(平成28年12月)