3月14日(木):経験の言語化
昨夜はほとんど徹夜をしたので、今日はかなりキツイ。ほぼ、夜通しパソコン作業をしていた。ブログのインデックスを少し作成したのと、あとは原稿を書いて過ごした。
ネットの接続時間を制限している。一日に一定時間以上は接続しないと決めた。月末に容量が足りなくなるなんて事態を招かないためだ。
原稿は、カウンセリングの実際として、パチンコ依存のD氏のケースを書いている。これは以前も書いていたのだけど、パソコンがイカレてしまって、もうその原稿を取り出せなくなったので、再度、書き直している次第である。完成までまだまだ時間がかかりそうだ。それに完成してもあまり読まれないだろうと思う。
ユーザーは自分の興味あるところしか読まない。読んでもすぐに目的のものに遭遇しなければさっさとページから離れるだろう。こんな長期連載のようなケース報告は、多分だけど、読む人はおらんだろう。
それでも書く。ある意味では自己満足だ。それでも構わない。僕がどういう考えをしているか、どういうことをやっているのか、そういう事例を読んでいただければいいのだ。何か文句を言いたいという人は、まずこのサイトに目を通してもらえればいいのだ。ブログも含めると2000ページほどあるけれど、読めない分量ではない。個人的には大した分量ではないと思っている。まあ、それは人それぞれの感じ方に依るか。いずれにしても、文句を言いたい人には全部読んでからモノを言ってもらおうと思う。
さて、徹夜明けで、朝は家の雑用をしてから職場入りする。少し遅くなったが、仕方がない。仕事・職場のことも家のことも、両方をやっていかなければならないのだから、時には一方を犠牲にしなければならない場面も出てくる。
昼休みに少しだけ仮眠して、午後からは予定されていた仕事をこなす。現在20時前。帰宅前に今日のブログを書いてしまえと思い立ち、書いている。
ワードってどれも一緒だと思っていたけれど、メーカーによって多少の違いはあるものだな。今使っているワードも最初は使いにくくて敬遠していたけれど、最近、ちょっと慣れてきた。慣れてくると執筆意欲が湧いてくる。あれもこれも書いて残そうなんて思い始めている。
読書評もめっきり書かなくなった。本は読んではいるのだけれど、感想を書いたりするのを怠っている。先月も映画のことばかり書いた。その映画の方も鑑賞はしているのに、感想を書くのを怠っている。今一度、きちんと書こうと思い始めている。
自分が経験したことはできるだけ言語化して残しておく。それは本を読んだときの経験でもいいし、映画の経験でもいい。日常の些細な経験であってもいい。経験する主体が、その主体の言葉で経験を綴るということが大事なのだ。そうすることによって、経験自体も自分の物になっていくし、経験している主体がより明確になるものである。本当はカウンセリングのような作業をしていくのが望ましいことではあるのだけれど、今の僕にはそういうカウンセラーがいないので自分でやっていくしかないわけだ。
もし、これを読んで、そうかそれをやればカウンセラーは要らないのかと思い、同じように自分独りだけでやろうと思う人がいたら、僕は忠告しておく。止めておきなさいと。カウンセリングで一時間かけてやる作業を、この場合では20時間くらいかけてやる覚悟をしなければならない。莫大な時間がかかるということだけは確実である。それにカウンセリングの経験がしっかり根付いていなければできないことであるということも追記しておこう。
小説が読みたくなり、書架を漁った。長編は重いので短編がいいと思った。アンブロース・ビアスの短編集が出てきた。ああ、懐かしい。ずいぶん昔に読んだやつだ。なんで職場においているのか、自分でも理由を忘れてしまったけれど、懐かしさも手伝って、読み始める。
この短編集はごく短い短編が収録されている。ちょっとした空き時間なんかに読み切れる分量のものがほとんどである。今日は合間を縫って4話ほど読んだ。
ああ、そうそう、なんでこの本をここに置いているか、思い出した。親殺しのテーマが追求されているからだった。当分、この本に取り組もうと思い始めている。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)