3月12日:見えない日が続く

3月12日(水):見えない日が続く

 昨日はパソコンを一切触らずに過ごした。朝のうちに家を出て、二件ほど約束事を済ませて、夕方から買い物なんかをして過ごし、その後帰宅。夜は早めに就寝する。
 僕の生活、生き方、内面的な事柄や外側の事柄、いろんなことを変えていきたいと望んでいる。でも、今のところ、まだ、どのように動いていいかよく見えていない。自分を変えたいのに、どう変わっていくことが望ましいのかで行き詰っている。

 昨日は本を一冊買い、あと何枚かCDを買った。楽器屋なんかも覘いてみた。楽器も、一時期に比べると、安く買えるようになった。もっとも品物にもよるけれど。昔はもっと高額だったように記憶している。少し頑張れば手が届くくらいの値段だ。
 そう思うと、節制して、節約して、それで欲しいものを手に入れるというのも悪いことではないなと感じた。三か月ほどタバコを止めたら、それで買えるピアノなんかもあった。少し頑張るのも悪くないかもしれない。

 本はカフカの「審判」だ。いくつかの理由と目的のために読み始める。その理由と目的の一つは次のものだ。「罪悪感と自責感情」というテーマで書こうと思っていて、カフカの小説がいろいろと示唆してくれそうに思うからだ。

 今日は午前と午後に面接が入っている。夜に来ている人は今週は月曜日にお見えになられた。少し助かる。と言うのは、今夜は夜勤を控えているからだ。明日も徹夜仕事になりそうで、昨日、ゆっくり静養しておいたのは良かったと思う。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 カフカを読もうと思ったのは、「うつ病」の罪悪感のヒントになるかと思ったからだ。何かの行為があって、罪が確定されるというのが通常の順序である。でも、罪が確定しているから何らかの行為があったはずだというのは、逆の順序であり、背理である。「うつ病」の罪悪感とはそういうものなのだ。
(平成28年12月)

 

関連記事

PAGE TOP