3月11日(月):衰退の象徴
そうか、今日は3.11か。あちこちの新聞の一面で「あれから13年」的な見出しを見た。
きっと、今日のワイドショーなんかでも震災関連の報道ばかりやるんだろうなと思ってテレビをつけたら、意外にも、地震関連のことよりも先に自民党議員の問題が報じられていた。まあまあ呆れるような不祥事だ。
まず、自民党の青年議員の集まりがあったそうだ。集会を開くのはまだいいとしよう。
集会の後、懇親会があったという。こういう懇親会的な集まりは派閥の温床となると思われるので、個人的には反対したいところなのだけれど、ここまでもいいとしよう。
この懇親会で余興が行われたというこだ。余興が必要なのかどうか。もし、余興をやるとしても、例えばその開催地域の文化的な催しなんかがなされるのであれば、少しは大目に見よう。
でも、この時の余興は女性ダンサーがステージで踊るというものだった。その後、水着のような衣装(ハッキリ水着と言ってしまえばいいのに)でダンサーたちが登場して、議員たちが彼女たちに触ったとか触らなかったとか、口移しでチップを渡したとかなんとか、そんなことがあったらしい。要するに、セクシーダンサーたちのショーパブ接待みたいなことがあったらしい。
呆れてモノが言えない。これも政治活動なのか。そうだとすれば、こんな連中に投票するのも馬鹿らしい。こんなのが政治をやっているのだと思うと、日本は一度壊滅した方がいい。
いやいや、問題にしたいのはそこではない。
ワイドショーのコメンテーターたちが言っていたが、どうして「止めろ」と言わないのか、どうして自分だけでも退席しなかったのか、当然、そういう疑問が起きてくる。謝罪会見した青年議員たちも、彼らの言葉をそのまま信用すれば、そのような思いをしたそうである。「これ、大丈夫なのかな」とか「止めた方がいいんじゃないかな」とか「席を外した方がいいんじゃないかな」などと思ったそうである。
問題なのはその後である。彼らは「そう思ったけど、できなかった」と言うのである。できなかった理由として、主催者側に慮ったとかへったくれとか理屈を述べているのだけれど、そんな理由はどうでもよろしい。
要は、「そうした方がいいと思っていたけど、それができなかった」という言葉の背後にあるものだ。その事態を生み出したものが問題なのだ。こういう文言は僕にはお馴染みのものだ。ここには主体性の欠如が見られるのであり、自己の確立の不成立が見てとれるのである。つまり、この議員たちの言うことを文言通りに信じるなら、彼らは神経症(適応障害)に陥っているということになる。見ようによっては精神病の初期段階にさえ見えてくる。自己の喪失もしくは自己の確立失敗の片鱗が窺われるからである。
もし、そのように仮定すれば、今度は新しい問題が起きてくる。つまり、そこまで心理的に病んでいる人に議員として働かせてよいか、という問題だ。これは差別的な意味ではなく、責任の重い仕事をさせるとその人の状態が悪化するのではないかという意味だ。病気の人に働かせたら病気がよけいひどくなるじゃないか、という意味である。
さて、さらにそのように仮定しよう。この議員が適応障害水準の症状を持っているとしよう。次に問題になるのは、この症状の発生機序がどこにあるのかということだ。これは報道からは何も手がかりを得られない。だからあくまでも憶測なのだけれど、当人にそういう罹患歴もなく、それに関する素質も少ないのであれば、この症状は議員世界から生まれたものであると考えていいかもしれない。つまり、それだけその世界が「ブラック」だということを表しているかもしれないわけだ。
例えば、はるかに強い権威(とその人には思われている)からの圧力が常に感じられて、それが主体性を脅かしたり、自己の確立を阻んだりしているのかもしれない。権威とその力が主体性発揮を奪い、自己確立を妨害しているのかもしれない。なんの根拠もないけれど、僕には自民党はそういう世界だという気もしている。
さて、最後にもう一つ。謝罪会見した青年議員は、女性の体に触ったかという質問に対して、「触ったという認識はない」とか「記憶の範囲では触っていない」とか、なんともどっちつかずの返答をしていた。
僕が思うに、これは女性ダンサーに触っているな。ただ、この「触る」をどのように定義するか、解釈するかである。質問はおそらく性的な意味で触ったかどうかを問うているのだろう。その意味では触っていないけれど、触れたりとか接触したりといったことはあったということなのかもしれない。女性には触れたけれど、触ったという認識ではないとは、そういうことなのかもしれない。あくまでも議員さんの言葉通りを信じたらそういうことになるだろうか。
でも、そもそも、どうしてそこまでアヤフヤな感じになるのか。単に言葉を濁しているだけなのか、その時の自己があまりにも希薄になり過ぎていたのか、なんとも分からない。後者は自己の喪失である。自己確立の失敗と通じるものがある。
あの青年議員の言葉をそのまま信用すれば、結局のところ、自民党の世界がどれほど歪んでいるか、過酷であるかを物語っているように思えてくる。
まあ、こんな話はどうでもいい。東日本大震災から13年。いまだに3万人近くの人が避難生活を送り、かつての生活圏に戻れない人たちがいるのだ。これは日本の力の衰退である。議員たちはその衰退の象徴である。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)