3月10日:いい関係を目指すこと(後)

3月10日(月):いい関係を目指すこと(後)

 月曜日の朝にこれを書いている。本当は今日は確定申告に行こうと決めていたのだ。それが一昨日、面接の予定が入った。今、その人を待っているのだ。それで申告の方は午後から行こうと決めたのだけれど、昨日、午後からの面接予約が入って、再度予定変更となった。
 今、その人、新規のクライアントを待っているのだけれど、まだ来ない。どうやらキャンセルとなりそうだ。半分予想していたことだ。これは僕の方にも難点がある。その人の電話を取った時、他の作業に追われて、僕が急いでいたのだ。何か忙しないものがその人に伝わってしまったかもしれないと反省している。
 まあ、仕方がない。いつものように15分まで待ってみて、それで来られなかったら自分の仕事に戻ろう。

 結局、朝の新規のクライアントはお見えにならなかった。無断キャンセルか。まあ、いいだろう。損をするのはその人なのだ。一度、人との約束を破ったりしたら、それ以後、その人と気まずい関係になったりするものだ。その人のことを僕は知らないけれど、今後、どこかで御縁があるかもしれない。その時、困るのは、僕の方ではなくて、その人の方なのだ。
 僕が中学生の頃、僕のような大人しい人間はとかくいじめられたりするものだ。その頃、いじめっ子側にいた人と大学時代に再会した。自分ではよく理解できるのだけれど、彼は僕のことを認識できたのだけれど、僕は彼と分からなかった。彼が中学時代とかなり変わってしまったというのもあるのだけれど、僕自身が、当時、中学時代のことを葬ろうとしていたからだろう。
 でも、まあ、人生にはそういうことが時にはあるものだ。かつてのいじめっ子と大人になってからばったり再会し、その後も一緒に酒を飲むような仲になったりするのだ。再会した時に気まずい思いをしたくなければ、その時々をいい関係で過ごすに越したことはないと僕は思う。神経症的な人はその辺りにまで理解が行き届かないという傾向があるように僕は感じている。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 3月8日分と内容が被っているのは、おそらく8日の分をボツにしようとしていたのだと思う。それで10日に書きなおしたのだと思う。取りあえず、両方を掲載しておく。
 いろんな人から、いろんなことに誘われ、どれ一つ実現しないまま終わった。誘ってくれた人には悪いけど、そういう気分になれないし、そういう生き方を目指していないのだ。
 それと、人は将来、いつ、どういう形で縁ができるか分からないものだ。なるべく気まずい感じにならないように別れたいものだ。
(平成28年12月)

 

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