3月1日(木):姉さん
今日のブログを書こうと思ってページを作成する。何を書こうかとタバコ一本喫う間に考える。その時、電話が鳴った。しばらく会っていない人からだった。以前、僕がよく通っていた呑み屋で働いていた女性で、何度か一緒に呑みに行ったことのある人だ。僕よりも年上で、僕は「○○姉さん」とよく呼んでいた。○○の部分には当然彼女の名前が入るのだけど、実名は書かないようにしたいので、ここでは「姉さん」と記そう。
姉さんは明るくて、気さくで、愉しい人だ。面倒見もいいと僕は思っている。でも、案外寂しい人なのかもしれないと思うこともある。
既に酒を止めていたから去年のことだと思う。いつ頃だったか定かではないのだけれど、一度、彼女の店の前を通ったことがある。僕が通っていた店だ。そこはもうシャッターが下りていて、営業していないようだった。それ以前にも前を通ったことがある。通りに面した入口から中を少し覗いてみる。その時には姉さんがいて、「ああ、姉さんも頑張ってはるんやなあ」と思ったことがある。店が営業している限り、いつか会う機会もあるだろうと単純に考えていたけれど、店がなくなってしまうと、もう会うこともないのかもしれないなあとしみじみ感じるようになった。姉さんだけでなく、姉さんの弟さん夫婦、それにその店で知り合った人たちとも会うことはないかもしれないなと考えたりしたものだった。ホント、生きている限り、いろんな人と会っては別れを繰り返すものだと思う。
しかし、何年も会っていない人が、僕のことを覚えていてくれて、こうして連絡をくれるのは本当に嬉しいことである。そしてわざわざ会ってくれるのである。久しぶりに会った姉さんは、以前と大きく変わったと思うところもあれば変わらないところもある。きっと僕の方も同じだろうと思う。お互い、当時よりかは年をとったものだ。姉さんの方は少しお太りになられたようだ。僕の方は以前にも増して禿げ散らかしているけれど。欠点があるのはお互い様である。いつかまた、姉さんとも昔話に花を咲かせたいものだと思う。もちろん、僕はお酒なしでという条件を付けるけれど。
姉さん、今日は来てくれて本当にありがとう。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)