2月9日(日):狭き門
今月は月初めが少し忙しかったので、今日からの週は少しヒマになる。ブログを書く余裕も生まれるというものだ。
今日、帰宅時、駅の喫煙ルームでタバコを喫っていた時のことだ。若い女性が入ってきた。喫煙のためだ。茶髪で、なんて言うのか、ケバイというかチャラいと言うのか、言葉は悪いけどオツムの弱そうな感じの子だ。
その女性がいきなり電話で話し始めたんだな。狭い室内にキンキン響くほどの声で。僕はケータイゲームをやってて、あれを動かそうか、こっちを先にしようかなどと戦略を練っている最中だった。正直言って、耳障りだった。ゲームだから良かったものの、本を読んでいる時だったら僕は完全にキレてただろうな。
別に会話を盗み聞いたわけではない。あんな声で話していたら嫌でも内容が耳に飛び込んでくる。この女性の彼氏かボーイフレンドか定かではないんだけど、その男性が他の女性を孕ませたということらしい。それで彼女は憤慨しているということか。
まあ、なんら同情する気持ちも生まれないんだけれど、ご愁傷さまである。
そんな不幸を経験したくないならきちんとしなさい、と僕は言いたくなる。類は友を呼ぶともいうし、朱に交われば朱に染まるともいうし、そういうものだ。相手を非難する前に、その自分から抜け出しなさい、と僕は言いたくなる。
悩みや苦悩を抱えている人が多い。これは確かにそうである。IT業者が集客の営業の際に言うお決まりの言葉だ。
そこからカウンセリングなりセラピーを受ける人は一部だけだ。大半はそのまま生きる。もし悪に生きているなら悪のまま人生を終えるというわけだ。
カウンセリングを受けて、受けただけという人も多い。
受ける人のさらに一部だけが生を維持していく。しかし、これは自分を変えたという意味ではない。
本当に自分を変える人はごく少数である。
自分を変えよう、今の自分から抜け出ることは、狭き門を通るようなものである。本当に通れる人はわずかである。
広い道は歩きやすいし、広い門は誰でも苦も無く通ることができる。それが大部分の人たちなのだ。
人のふり見てわが身を、ってわけじゃないけど、僕も身を引き締めていこう。生きることはラクな営みではないのだ。どんな苦難や不幸が待ち構えているか分からないまま生きているのだ。僕自身、もっと強くならねば。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)