2月9日:日本はオリンピック権利返上すべし

2月9日(火):オリンピック権利返上すべし

 

 オリンピック委員会の森会長の発言が物議をかもしているが、この森発言に対してその問題点がよく分かっていない人もあるようであり、また会長に対して同情している人たちもいるようだ。

 あの発言のどこが問題になるのかがよく分からないという人もいるのだけれど、僕なりに問題点を整理してみたいと思う。

 まず、女性がいると議論に時間がかかるという発言部分がある。これに関しては後でもう一度取り上げるのだけれど、これは必ずしも事実と一致するものではないと思う。議論に時間がかかるのはもっと他の要因もあるはずであるが、それが女性だけが原因であるかのように言われている点に差別的なところがあると思う。

 次に、会長がその根拠を言う部分がある。つまり、女性は競争心が激しく(これは森会長の心的投影であると思う)、一人が発言すると後から後から発言するようになるという部分だ。これも必ずしも事実と一致するものではないだろう。むしろ会長の個人的な見解ないしは解釈でしかないものである。

 この個人の解釈でしかないものを、相手の属性として決定しているところ、それも立場的に上の人間がそれをしているというところに最大の問題がある。

 場面を変えてみよう。例えば、学校の先生が生徒に向かって、「お前ら来ると面倒臭いねん」などと言ったらどうだろう。「お前らが来ると授業に時間がかかるねん。お前ら授業の終わりる頃になったらやたらと質問とかするやろ」などと言ったらどうか。あなたが学生の立場で、このようなことを言われたらどうか。

 お前はこうだと決めつけられる。しかも向こうの方が立場が上なのでこちらは反論することもできず、それを受け入れざるを得ない。自分に属さない属性を自分の意志に反して自分のものとしなければならず、自分に属する属性は主張することもできず、自分に属さない属性に席を譲らなければならないことになる。自分であるものは自分ではないとしなくてはならず、自分でないものを自分であるとしなければならない、しかも反抗は禁じられている。見事なダブルバインド状況である。

 従って、あの発言は「差別的」と評価されているのだけれど、僕に言わせれば、あの発言はそれ以上に「暴力的」であるわけだ。

 ここで後で取り上げると先述した所に戻ろう。女性は一人が発言すると、競争心の激しさから、次々に発言が続くということだ。このような場面が生じるとすればそれはどういうことを意味していると思われるか。一人が発言すると続いて発言が起きていくという状況である。どういう状況があるだろうか。

 僕の思うに、発言の制止がそこにあるのではないだろうか。それまでモノを言うことが禁じられていた状況があるのではないだろうか。やっと自分たちに発言の権利が与えられたとしたら、今まで言えなかった気持ちも加担するかもしれないので、一人の発言者に続いて発言が連続するということもあるだろうと思う。競争心が激しいといった誤解が生じるほど、つまりそのように見えてしまうほど、その連続が激しいものであるとすれば、それまでの禁圧が相当なものであったと憶測できるのだ。

 いずれにしても、もうオリンピックなんてどうでもいいのだ。日本は開催を中止し、以後も参加開催の権利を返上してしまえばいいのだ。日本はオリンピックに相応しい国ではなくなっているのだ。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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