2月7日(月):危惧の日々
毎日せっせとブログを書いては公開している。毎日サイトが更新されている。そのおかげもあってか、そろそろ反響も出始めている。予約までは結び付かなかったが、問い合わせも来つつある。
予約に至らなくても、こうした問い合わせはサイトページやランディングページのネタになる。ネタになるっていうと語弊はあるかもしれないけれど、要するに、その問い合わせに答えること、またはそれについて考えること、それだけでページが出来上がるわけだ。
よくそれだけ書くことがありますね、と言われたこともある。クライアントからも言われたし、業者からも言われたことがある。とんでもない。逆である。書くほうが追い付かないくらいなのだ。日々生活していると、書くことのネタに困ることなんてありえない。
そして、そうして経験したこと、考えたことなどは書いて残しておかないと記憶からなくなってしまう。僕の中から失われてしまう。失うことの苦しみと比べたら、書くことの苦労なんて屁みたいなもんだ。
今日もランディングページの原稿を一本書いて、公開も済ませた。本当はもう一日くらい寝かせて、文章などを練り直したいのだけれど、修正は後からでもできると思い、先に公開した。
それで今日は、朝からその内容を、書くことの内容を頭の中で練っていた。出勤中も、この内容を盛り込もうとか、こういう話を挿入しようとか、そこまで話を広げない方がいいなとか、考え続けていた。
しかしながら、これはいつも経験することであるが、頭の中にあるものをそのまま記述することがいかに難しいかを思い知る。書くこと、つまりワードで文章を打ち込むことと、思考の流れとがいかに一致しないか。手作業が思考の流れにいかに影響するかということが体験される。うまく言えないけれど、思うようにいかないのである。
だから後日修正しなければならない。とりあえず文章を作成しておいて、後から読み直す。この読み直しで思考の流れに意識を向けることができるのだ。書くことに対する注意が省かれる分、そっちに集中できるようになるからだと思う。
そして、修正をしてから公開という流れになるのだけれど、修正のために寝かしている間にボツになってしまう可能性も高い。だから先に公開しておくのも一つの手段なのだ。ボツ防止の手段である。なるべくボツを減らしたいとも思うのだ。
さて、そろそろオリンピック関連のニュースが増えてきたな。ワイドショーなんかでも取り上げられている。誰それが金メダル取ったとか、もうどうでもいいわと思ってしまう。そんなことに感動なんかしなくなっている。
開会式は、やはり控え目な演出だったようだ。僕は入場行進の一部しか見てないけれど、派手さを抑えた印象を受けたのを覚えている。全体にそうだったようだ。
それに比べると、東京五輪の開会式はひどいものだ。金満家が裕福をやたらと見せびらかすような、そんないやらしさが感じられた。北京五輪の開会式のおかげで、東京五輪のそういうところがありありと見えるようになった。
北京では感染防止のバブル方式もしっかり機能している。ともかく徹底ぶりがすごい。日本はとても真似できない。徹底するとか、徹するとか、日本ではそういうことが薄れてきているように僕は感じる。政治家の言うことを取り上げてもそうだ。感染対策に徹するなどと言っておきながら、何一つ徹していないっていうことが何度もあった。物事に徹するということが失われている国なのかもしれない。
昨年の東京五輪でもそうだったけれど、オリンピックなんて別世界の話のようだ。どうでもいいものだ。こんな感慨を抱くのは僕だけだろうか。きっとそうではないと僕は信じている。それどころではないという人がどれほどいるだろうか。
経済的な苦境に立たされている人たちだけでなく、コロナ感染者もそうだ。発症するかどうか、重症化するかどうか、毎日怯えながら生きている人もいることだろう。浮かれているどころではないのだ。
コロナ禍で休校になる。学校にいけない学生、児童がたくさんいるわけだ。この休校による学力低下がもたらす経済的損失が2000兆円になると世界銀行が試算した。もちろん、日本だけでなく、世界の数字だ。僕はその倍くらいはいくだろうと思っている。
大学生の2年間と、小学生低学年の2年間とは、まるで意味が違う。言うまでもなく、後者の方が深刻である。リモート授業をするので、学力がそんなに落ちるわけでもないとは思うのであるが、問題はそれ以外の領域である。学力は知能ではないのだ。知能の一部に学力を含めるとしても、知能とはもっと別の領域のことなのである。知能を伸ばす体験が欠如してしまうのが問題なのだ。今の子供たちはどんな大人になってしまうことだろう。これはコロナのせいではなく、むしろ国のせいなのである。
仕事のこと、クライアントのこと、僕自身のこと、さらにはコロナと経済、子供を取り巻く状況、いろんなことを危惧する日々が続いている。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)