2月5日(土):吹っ切れること
今日はまた一段と寒くなった。膝に違和感を覚える。痛みはないけれど、なんかいつもと違った感覚がある。この気温のためだと思う。でも、痛みさえなければそれでいい。歩行や動作に支障はない。
昨日、やっとホームページのデータを参照できるようになった。今まで放ったらかしにしていた。データなんか興味がなかったのだ。今でもそれは変わらない。ただ、現状でどれくらいの人がこのサイトに入っているかだけは確認したかった。
確かに減っている。一昨年のころと比べて三分の一だ。こりゃ仕事も減るはずだ。僕もそうだけれど、ここまで放置したIT屋はホンマ役立たずである。それでも一応毎日閲覧者はいる。それは救いである。
ともかく、これを改善だ。家でブログを書いて更新できるようになったので、日付の上では一日遅れとなるが、毎日公開している。こまめに更新していくことだ。
肝心なことは、今できることを最大限にやっていくことだ。できることは何でもしていく。それくらいの気迫で取り組まなければならない。
また、このサイトの補助手段としてのランディングページの方も再開した。こちらは使い勝手が悪いのでとてもやりにくいのだけれど、もうそんなことも言ってられない。当てにしてなくてもやれることはやる。
こうしてサイト作業が膨大になっていく。従来の倍の作業をしなければならない。いや、二倍では済まないな。これまであまり力を入れてこなかった部分もやっていくので、三倍の作業量だ。三倍でも四倍でもやっていくさ。どうってことはない。
加えて、公私にわたる雑務がある。身辺整理もそうだ。時間を作っては取り組んでいる。職場には20代以後のものを全部持ってきたので、それも整理していく。懐かしいものがいっぱい出てくる。かつての授業でとったノートなんかも出てくる。もう一度それらを復習してもいいなと思っている。
いや、気持ちとしてはそうなのだ。20代のころに学んだことを復習したい気持ちが強いのだ。あの時代を取り戻したいのだ。バリバリ働いて、バリバリ勉強した時代だ。よく働き、よく学び、よく遊んだ時代だ。
取り戻したいのは、あの頃の自分だけでなく、あの頃のエネルギーだ。大学時代からクリニック時代までの僕とは一味違っていた。クリニックをリストラ後は、最初のうちこそ落ち込んでいたけれど、バイトで食いつないでいくうちにどこか吹っ切れた。なんでもやれそうな気がしていた。
心の治療にはどこかどういうところがある。治療から離れて、それもずいぶん時間を経て、ある日ふと吹っ切れる感じが出てくるのだ。理由なんてわからない。それまでのことがなんかどうでもよくなってきて、それまでとは違ったことが大切になってくる。そういう感覚なのだ。
そこに至らないクライアントも多いけれど、何人かのクライアントはやはり同種の経験をされているのだ。すごくそれにこだわっていたのに、ある時、吹っ切れるのだ。それも自然にそうなる感じで、本人が意識して吹っ切ろうとしているわけではないのだ。むしろ、意識してやっている時こそ、吹っ切ることができないものである。
僕は「治る」とはそういう感覚なのだと確信している。自分の何がどう変わったかなんてわからないんだけど、何か払拭された感覚が内面に湧き上がるのだ。そして、そうなると活力が湧いてくるのだ。多分だけれど、こだわりに費やしていたエネルギーが宙に浮くからだと僕は思っている。
当時のものには及ばないけれど、近頃、僕の中で吹っ切れつつあるものがある。これまではすごく重要だと思えていたものがそう思えなくなり、しばらく軽視してきたものの重要度が増してきたように思えている。抽象的な言い方になってしまったけれど、感覚的なものなので上手く言えないのだ。
やれること、できることはまだまだたくさんある。そのどれもをやっていこうって気持ちだ。
久しぶりにミステリも読む。短編をいくつか読んだ。ミステリもいいものだ。あくまでも趣味の領域だけれど、趣味もしっかりやろうって気になっている。
やり残しているもの、中途で頓挫してしまっているものも再開していこう。できないことはない。僕も人生の半分以上を過ぎて、あとどれくらい時間が残されているのかわからない。時間はないけど、エネルギーはある。まだまだ活力が漲っている。疲れはするが、諦めるつもりはない。
今日はまだ時間が残されている。最後まで有効活用していこう。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)