2月26日(土):「正しく座れない夢」
夢を見たので記録しておく。
(夢)「正しく座れない夢」
僕は食卓についていた。食事中だったようだ。右手に茶碗を持ち、左手に箸を持っていた(僕は左利きである)。最初は椅子に深く腰掛けていたのに、だんだん体が前方にずり落ちていく。腰掛が浅くなっていくのだ。椅子の背もたれのてっぺんが首の後ろ辺りに当たる。それから、今度は徐々に横方向に、確か右方向に、上体が傾いでいく。そのまま倒れそうになる。そこで一人の男性が部屋に入ってきた。僕を見るなり彼は「なんという姿勢だ。もっと正しく座れ」と命令する。僕はかろうじて「そうしたいんだけど、できないんです。体が動かないんです」とだけ答えた。実際、体は動かなかった。
以上が夢だ。もっと他の場面もあっただろうと思うのだけれど、この場面だけを覚えている。最後はどうなったのかも分からない。
まず、体の状態が非常に悪かったということだけは明記しておこう。目覚めてすぐにトイレにかけこんだ。腹を下していたのだ。そして、今日一日、ずっと腹具合がよろしくなかったのである。
夢では体が動かないことになっている。動かそうと思っても動かせない。ずり落ちるにまかせるしかない状態だった。体が動かないというのは、今現実に僕が感じつつあることだ。休日は努めて体を動かすようにしているのも、やがて体が動かなくなるという心配からだ。夢では本当に動かなくなっている。
それが食事中に起きたということも、なんだか象徴的だ。現実に食欲というものが薄くなっている。食べる気がしなかったら食べないということもする。食に関しては関心がほとんどなくなっている。空腹を満たすだけの営みでしかない。つまり、食事がどうでもよくなっているが故に体も動かないのだ。その逆も真であると思う。
また、食事というのは、外部のものを内部に取り入れ、自己のものにしていく過程である。そのように考えると、体が動かない故に取り入れしかできなくなるのであり、その逆も真である、と言えるかもしれない。取り入れるばかりではいけないという気が今はしている。
部屋に入ってきた男性は、なんだか僕より年配で、監督とか矯正者のようなイメージが付きまとっている。ユング派でいうところの「老賢人」の役回りをするのであるが、そこまで老人でもない。「老賢人」は、慈悲深い面と厳しい面を持っていることがあって、その人を助けると同時に、その人に難問を課したりすることもある。その意味で言えば、この男性は難問を課す(体が動かない僕に正しく座れと命令すること)面が前面に出ている感じである。「老賢人」にははるかに遠い存在のようでもある。
しかし、僕はこの監督官のような男性の言葉に従わねばならない。姿勢を正さないといけない。体が動かなくても、そこを無理してでも動かして正さないと、椅子から落ちてしまう。この監督官が厳しい人間に見えるのは、僕が今にも椅子から落ちそうになっているからであると思う。僕が危機的な状況であるが故に、彼は厳しく命令せざるを得ないのだ。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)