2月25日(火):天国に酒はあるか
今日は火曜日。定休日だ。休みだ。
最近、足の具合がよろしくない。今朝はけっこうな痛みがあった。起きれるかなと不安だったけれど、起きてみると、何とかなった。
それでも痛いし、痛い方の足を庇うので、けったいな歩き方になる。無理せず、鎮痛剤を服用する。それが効くまで横になって過ごす。
横になったついでに、チョット軽い読み物をと思い、推理小説に手を出す。一冊読み終える。カーター・ディクスンの『九人と死で十人だ』という長編小説だ。なかなか面白かった。<ミステリバカ>で取り上げようと思う。
昼から活動開始。薬は効いているものの、痛みは感じられる。今日、本来なら税務署あるいは申告会場に行く予定をしていたが、とても遠くまでは行けない。
とりあえず、駅まで行く。タバコを一服。この後、どうしようかと思案する。結局、高槻に出ることに決めた。
のんびり寄り道しながら来たので、職場入りは夕方頃になった。
職場入りすると、まず、昨夜の片付けをする。そのままにして帰ったのだった。洗い物をして、室内を少しだけ整頓する。その後、勉強して過ごす。
トイレに行こうとしたときに、電話が鳴る。ああ、ダメ、電話は取れない。留守番電話に切り替わる。電話は放っておいて、僕は用を足しに行く。
そもそも火曜日は定休日であることはHPにも記載してあるんだし、電話を取る必要はないのである。ここで電話を取ると、いつでも電話していいと勘違いされる。
その後も勉強を続ける。扉にノックがある。一体誰だ。は~いと返事はしたものの、足の痛みのためにゆっくりとしか立てないし、歩けない。
のそのそ扉まで歩いて、ドアを開ける。一人の女性がいた。ここを見かけたので話を聞いてもらえるのかと思ったということらしい。僕は今日は定休日だと答え、よければ予約を取ると伝える。相手はいいです、と。先ほどの電話もこの人だった。
この人の見込みはゼロパーセントだ。そこで予約を取ると言えば、50%くらいの見込みだ。少し考えますっていう反応ならせいぜい30%くらいか。まあ、明確に統計を取ったわけではなく、あくまでも僕のフィーリングで決めているんだけれど。
この人の言うところでは、たまたまウチを見かけて、今から受けようと思われたようだ。言葉は悪いけれど、その場の思い付きで受けるというわけだ。そして、思い付きで受ける人は思い付きで止める可能性がある。と言うのは、それはその人のパーソナリティ傾向と関係しているからである。
そして、予約をとってから面接までの間に進行するプロセスを欠いた状態で始めることになるので、おそらく、有益なものにはならないだろう。受け付けないのがお互いの利益になるというものだ。
僕はそういう人に時間を割きたくない。そういう人は僕とは無縁の人だったと思うようにしている。人生はあまりにも短い。僕に残されている時間もかなり短いだろう。僕はそう感じている。だから縁のなかった人のことは考えないようにしたい。縁のある人とだけやっていければいいと思っている。
いっそのこと居留守でも使っておけばよかった。痛む足を引きずってまで出ることはなかったな。
結局、職場では論文を2つほど読んだだけだ。
膝を曲げているのがキツクなってきたので、足を延ばすついでに横になった。その横になっている時間が長かった。
天井を眺め、ボンヤリと考えている。こんな風にボンヤリと考えることは久しいな。考える時は常に何かについて、あるいは誰かについて考えている。方向づけのないままの思考もなかなかいいものだと思う。
それで、ボンヤリと何を考えていたかと言うと、自分の死である。どこが自分の死に場所になるだろうかとか、どういう状況で死んで、最後に何を見るんだろうか、最後にどんな音を聴くんだろうか、そんなことを延々と考え続けていた。
一昨日来られたクライアントがよく言っていたな。僕は人助けをしているから死んだら天国に行くと。その人の意見に反して、僕は自分では地獄に落ちると思っている。そんな清らかな魂の持ち主でもないと自分では思っている。
仕事をやっていこうとすれば、多少のズルいこともしなければならない。キレイごとばかりでは仕事はできない。天国には行けない種類の人間だ。それに天国に酒はないだろうしなあ。
死のことばかり考えていたら気分が滅入る。少しお酒でも飲んで気分を高揚させておこう。まあ、そんなのは口実なんだけれど。
いつもの呑み屋に行く。今日は行くんじゃなかった。止めておいたら良かった。どうも面白くない。酔っ払いってのは、どうしてああなんだろうね。騒々しいし、人の話は聞かないし、他の人に絡むし。まあ、それも人によるか。
これからは飲む時は独り静かに飲もう。多分、飲みながら死のことを考えたりしてしまうんだろうけど、酔っ払いと関わるよりかはましかもしれない。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)