2月23日:蓄積していくこと

2月23日(木)蓄積していくこと

 

 今週に入ってから、このブログを書いていないし、サイトも触っていないという日が続いた。月曜日は騒音がひどく、二回も避難した。さらに夜は徹夜だった。火曜日の徹夜明けは、Yさんと「遠足」の約束をしていた。この日はたくさんの学びがあった。一つずつ書いて残していこうと思う。そして水曜日、昨日であるが、これは非常にいいことがたくさんあった日である。やはり、僕には考えさせられることや発見、学びが多く得られた日だった。それにとてもいいことがいくつもあった。

 僕が得た学びや発見は、僕にとってはとても意味がある。でも、これを読んでいるあなたにはまったく無関係で無関心な事柄かもしれない。それでも僕は書いて残しておく。

 また、「それが何の役に立つのか?」と質問される方もおられるでしょう。実際、そのような方もおられる。僕の考えでは、その質問をする人は非常に了見の狭い人だと思う。なぜなら、それが役に立つのかどうかということが現時点で分かっているためには、この先々のことが見えていなければならないし、決定していなければならないということが大前提である。しかし、僕たちはとても不確実な存在である。将来のことで予測できることは、ほんの一部だけである。それも予測が的中するかどうかも定かではない。僕たちは混沌とした曖昧な世界に生きているのだ。僕はそう考えている。だから、ある事柄が自分に将来どう役に立つのかということは、この問い自体が意味をなさないものだと思う。自分の中に蓄積されているものが、何かの拍子で役に立つということの方が現実には多いだろうと思う。だから、僕は僕の中にいろんな物事を蓄積していきたいのだ。役に立つと分かっているから蓄積していくのではなく、蓄積してきたものの中から役に立つものが生じるはずなのである。

 それと、僕が最近つくづく感じるのは、何事もやり直しがきかないということである。人生をやり直すということなんて実際にはできないことなのだ。僕が40年間生きてきた。これは紛れもない過去なのだ。生き直すことなんてできないのだ。だから、今日のこの一日は、やり直しのきかない貴重な一日なのだ。明日は24日になる。24日にもう一度23日をやり直すことはできないものだ。24日になれば、24日という一日を僕は生きることになる。きわめて当然のことだ。取り返すことができない一日だからこそ、僕は今日学んだことや体験したこと、発見したことを大切にしていきたいと思っている。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

 

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