2月21日:不安保持回避 

2月21日(日):不安保持回避 

 

 今日もそれほど忙しくはなく。今週はヒマ週だった。 

 仕事をして、それ以外の時間はすべて本を読んで過ごす。P・ジョンソン『我と汝~宗教心理学入門』を中心に、オルポート、『人さまざま』、『人間理解の心理学』などを拾い読みする。 

 

 外が騒がしい。あんな大声を出さなくても良さそうなものなのに。まさか自分たちの会話が3階まで筒抜けになっているとは思いもしないだろう。無防備すぎるし、隙がありすぎる。 

 声が大きくなるのも、社会全体が騒々しくなるのも、自分の不安をどうにもできないからではないだろうか。 

 『葉隠』の中に、世が泰平になって、下を向いて歩く人間が多くなった、昔は気が張っていたので、前を向いて歩くのが普通だったと嘆く一節があるけど、現代もそれと同じという気がする。もっとも、現代の場合、俯くのはスマフォのためだ。ただ、世が泰平であるかどうかには疑問はあるが。 

 スマフォをみんながいじるのも分かるのだ。便利だからと言うけれど、そうじゃない。不安だからだ。一日、スマフォ無しの生活をしてみればそのことがすぐに証明されると思う。スマフォがないと不安になってしょうがなくなると思う。精神安定剤、もしくはお守りとして重宝されているのだと思う。 

 

 僕はケータイ、パソコンから徐々に離れていこうとしている。ケータイは朝と夕にチェックするだけ。パソコンは朝と晩に家で開き、どうしてもという以外、職場には持っていかない。 

 こういうものに気を取られるだけで、何かがラクなのだ。気が紛れる感じがする。何となく必要だからという理由で触るのだけれど、実際にはそれ以上の動機がある。 

 今日、職場にパソコンを持っていかなかった。すると、サイトやコラムであれも書こうとか、あそこはこういう例を引こうとか、いろいろ思いつく。思いついても、すぐにはかかれない。帰宅するまで待つしかない。 

 思いついたときにすぐに取り掛かれるというのは利点であるけれど、実は、僕の中から生まれたイデーが僕から失われていくことを恐れているだけだったのだ。それを保持していく確信が持てないのだ。そこで不安に襲われ、僕は即座にその不安の解消を図る。実際にしていることは、不安保持の回避である。 

 

 さて、兎にも角にも、今日も一日が無事に終わろうとしている。今日一日の生に感謝しつつ、締めくくろうと思う。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

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