2月18日:コンビニ時代のお客さん

2月18日(土)コンビニ時代のお客さん

 

 昨日は暇日で助かった。工事の騒音並びに振動が昨日は特に激しかった。どの辺りを掘り起こすかによって、音や揺れにも違いがあるようだ。

 昨日は本当に僕の所の建物の際の辺りをはつっていたのだと思う。音と振動は、気分が悪くなるし、頭や歯に響くのである。昨日はそれで二回も避難した。

 それで午後、喫茶店に入る。僕がコンビニでバイトしていた頃によく買い物に来てくれていたお客さんを見かけた。向こうは覚えているかどうか分からないし、僕に気づいたかどうかも分からない。でも、僕の方ではすぐに分かった。こういうのはとても嬉しくなるね。

 僕たちは今現在を生きているわけだけれど、当然過去もあって、現在に至っているわけである。

 でも、この過去というのは、記憶の中にあるもので、もはや眼前にはないわけだ。そうなると、過去のことは、場合によっては、それが現実にあったことなのかどうか曖昧になってしまうことがある。確かに経験したのだけれど、はっきり覚えていなくて、幻のような感じがするという思い出をお持ちではないだろうか。

 過去が漠然となることは、自分自身が漠然となることに等しいと僕は思う。もちろん、過去にばかり目を向けていくわけにもいかない。過去にあったことが、確かに過去にあったと言えるだけの確たるものになっていくためには、その過去を忘れずに、語り直すことだと僕は捉えている。語り直す度に、僕たちはそれを再体験するわけである。語り直された思い出は、より確かなものとして、心の中に留まるし、内面に確かな過去がある人ほど、自己が確立されていると僕は捉えているのだ。

 かつてのお客さんを見かけて、僕の心の中ではコンビニでバイトしていた頃の自分とつながりが持てたような感じがした。当時とは生活がまったく変わってしまったけれど、確かにあの時代を生きたのだなと、僕は実感したのだ。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

関連記事

PAGE TOP