2月17日(水):世も末
先日、株価が高騰してバブル全盛期並みの数字を打ち出した。国内総生産は増えていないにも拘わらずである。お金が出回ることなく、株式市場に流れ出ているということなんだろうけれど、これを見たら政府は給付や補償を打ち切りたくなるだろうな。あんたがた、金持ってるでしょ、とか思われそうだ。ともかく、早くも経済はガタガタになり始めている。
自殺も増えている。数字の上では前年よりも少なくなっていても、増えている部分では増えているのだ。一部分の増加はやがて全体の数字を上げていくだろうと思うので、今年は昨年よりも自殺者数が増加すると思う。この国が生きるに値しなくなってしまう人たちが増加し続けるのだ。
オリンピックなんて本当にやるつもりなのか。誰も中止が言い出せないからやりますと言い続けているだけではないのか。三兆円もかけている割にはずさんな大会になるんじゃないかと思う。金の無駄遣いもいいところだ。次で取り返すといって負け続けるギャンブル依存と同じようなことをやってないか。
コロナのワクチンは、国内での製造が軌道に乗らない限りどうしようもない。アストラゼネカ社のものだったか、日本に分けてくれたのだ。それを培養して、ワクチンを国内で製造していって、国内流通を可能にすることがなぜできないのだろうか。なぜそこにもっと力を入れないのだろうか。輸入に頼ってあぐらをかいていると争奪戦に取り残されてしまうのに。
今日、ワクチン接種が開始された。医療従事者から接種開始だ。それはいいとしても、明らかに出遅れている。世界では1億人がワクチン接種しているのに、日本ではようやく一人目だ。世界的大会を開催しようという国とは思えないほどである。
今の政治家に求められているものとは何か。この問いこそ無意味なものはない。政治家になる人がどんな人間であれ、政治の世界に染まるとああなるのだ。朱に交われば赤くなるのと同じで、政治家になる前は立派な人間であっても、政治の世界に足を踏み入れると堕落するのだ。
菅首相が就任の時の演説で自分の生い立ちを語った。田舎の農村で生まれて云々という話だ。貧しい生まれから切磋琢磨して叩きあげてここまで来たという苦労譚だ。ちなみに、自分は苦労したなんてことを自分で言う人を僕は信用しない。酒飲みにもそういうタイプの人間がおるのだけれど、僕はどうも好かん。そういう人の全部が全部そうというつもりもないんだけれど、そういう人は他人の苦労を軽視する傾向があるように思う。他人が苦しんていても、俺の方が苦しんだんだとか、それくらいは苦労に入らんわいとか、そんなことを言い出す始末なのだ。苦労した人間ほど、尚且つ、その苦労が自分の中にしっかり受容されていない人間ほど、他人の苦労や苦しみに無頓着である。もっとひどい場合には、苦労を強いられたことを心のどこかで憎んでいることもあり、その憎悪にまったく気づいていない場合もある。これはかなり最悪だ。他人を苦しめることで密かな復讐を成し遂げるからである。苦労した人間は人間ができているとも限らないのである。
世も末のような状況が毎日更新されているようだ。生きにくい世界になったものだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)