2月17日(金):一人の人と出会うこと
仕事が暇だからということで、今日はもう一本書いておこう。ストックにすると、どれが公開したのやら後で分からなくなるので、できた分は同じ日付であっても公開していこうと思う。
昨日、僕は自分の恋愛観について書いたけれど、これはその続きである。男にはライバルよりも多く獲得しようという傾向があって、だから一人でも多く女を手に入れたがるなどという話を聴いたら、まずその説は怪しいと考えた方がいいね。随分、眉唾ものの理論だと、僕は思う。僕の考えでは、人よりも多く手に入れようと躍起になるのは、それが男の本能によるものではなく、むしろ神経症によるものなのだ。
文化によっては一夫多妻制の民族もある。そこでは果たして本当に男は妻の数を競っているだろうか。僕は文化人類学には詳しくないので、詳しい人がいれば教えていただきたいものだ。
もし、日本が一夫多妻制になったとしたら、一体、一人の男性は平均して何人の妻を持つようになるだろう。20人も妻がいたらそれこそたいへんだということになる。既婚男性の読者なら、とんでもない、一人の妻でもたいへんなのに、それだけ妻がいたら身が持たないとおっしゃるのではないだろうか。僕の考えでは、一夫多妻制となっても、蓋を開けてみれば、限りなく一夫一妻制に近づくと思う。もちろん、これは今の日本でという条件付きだ。一妻多夫制になったとしても同じことが言えると僕は思う。
つまり、僕の考えでは、人は一度にたくさんの人と同時に親密な関係を築くことが困難だからなのだ。いや、5人くらいなら妻を持ってもよいとおっしゃる男性もおられるかもしれない。しかし、その5人の中でも必ず順位が生まれるだろうと僕は思う。云わば、本妻と二号さんのような区別が生まれるだろうと思う。だから、5人の妻がいても、本当に愛する妻は1人になっていくのではないだろうか。
だから、このことは結局のところ、次のことになるわけだ。人は一生の間に本当に愛し合える人が一人あれば十分だということなのだ。その一人の人と出会うだけでいいという話なのだ。
僕が男性なので、男性の視点で言ってしまうことは勘弁していただきたい。でも、女性の立場でも同じことだと思う。僕は今日、家を出てからこれを書くまでの間に、何十人もの独身女性を見かけた。僕の狭い生活圏でさえ、それだけの女性を見かけるのだ。その中に、一人だけいてくれたらいいわけだ。
たくさん獲得しようなどと思う方が間違っているし、人間にそんな本能などあるとは思えない。仮に男にそういう本能が本当にあるとしても、なぜその本能を原始的な姿のままで保ち続けなければいけないのかね。これは人間の進化や文明化に反した理論だと僕は思う。
繰り返すけれど、そういう相手は一人で十分なのだ。人生の伴侶となるような人と一人だけ知り合えたらそれでいいわけだ。今日、電車の中で、あの女性は独身かななどと僕がジロジロ見ていたので、中には「あのおっさんキショイ」と思われた女性もおられるだろう。大仰な言い方をすれば、そういう伴侶となる女性と一人だけ関係を築くことができれば、その他すべての女性から気色悪がられても、全然不幸なことではないと思う。と言うのは、結婚していても本当には夫婦になっていない男女がいくらでもおられるからである。結婚しない人も多数おられる。そういう相手と一人として出会わずに終わる方もたくさんおられるのだ。だから一人だけそういう人と出会えるということが、いかに大切なことであり、いかに幸福なことであるか理解していただけるのではないかと思う。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)