2月16日:「いいなあ」と思えること

2月16日(木):「いいなあ」思えること

 

 一日遅れだけど、バレンタインチョコをくれたYさんに感謝。素敵なメッセージカードに、僕は思わず泣いてしまったね。すごく嬉しかった。今後とも仲良くしてほしい

 僕も年をとったのか、若い頃に持っていたのとまったく異なった恋愛観を持つようになったのを自覚している。ただ、この人と一緒に生きたいということが愛情なのだと思うようになった。若い頃の僕はそんな風には考えていなかったな。

これは僕だけじゃないと思うのだけど、たいてい、人を好きになったりする時には何らかの条件や理由が付加されていたりするものじゃないかな。「優しいから好き」とか「一緒にいると愉しいから好き」とかいうようなね。でも、そういう「~だから」っていう条件が次第になくなってきた感じがする。敢えて言うなら、「一緒に生きたいから一緒に生きたい」というような感覚なのだ。

 クライアントの中には、自分は愛されたことがないから、自分に自信が持てないし、価値がないと感じるという、根拠のはっきりしない理屈を信じ切っている人が多い。僕はその理屈は正反対だと、今では断言できる。

 人から愛された時に自己価値を感じることよりも、人を愛した時に自己価値を体験することの方が多いのではないかと、僕は自分の体験からそう信じる。ちょうど、これは褒められたことがないから自信がないんだという間違った理屈でも同じことだ。人から賞賛された時よりも、人を賞賛した時の方が自信につながるものなのだ。これも僕は自分の体験からそう信じている。

 これはなぜかと言うと、ちょっと考えたら分かることだ。人から好かれることと人を好きになることとでは、どちらが困難だろうか。誰かから褒められるのと誰かを褒めるのとではどうだろうか。ぜひ、この違いは分かって欲しいと思う。

 例えば、自分が愛されたいとか褒められたいとか望むのであれば、その人はいつかそういうことをしてくれる人が現れるまで指をくわえて待っていてもいいわけである。そして相手が自分を愛してくれるか褒めてくれるかということは、自分の意志には関係がなく、運任せにしているようなものだ。しかし、自分が誰かを愛そうとか褒めようとかいう場合にはそうはいかないのだ。

まず、相手を愛する場合でも褒める場合でも、その相手のことを「いいなあ」と思えていなければならないわけだ。相手のことを「いいなあ」と思えるということは、尊敬の念を抱くということでもあるわけで、「自分が一番」と自惚れていたり、相手の「いいなあ」の部分で嫉妬や恨みを体験している人にはまず無理なことなのだ。そして、純粋に相手のことを「いいなあ」と思えた時、僕は僕からみて「いいなあ」と尊敬できる人とつながっている自分を発見するわけだ。「いいなあ」と思える相手とつながっている僕は、そういう相手とつながっている自分自身も「いい」ものとして体験しているわけだ。相手の「いいなあ」が、僕にとってもいいものになっていくわけだ。だから、愛したり褒めたりすることの方が、自己価値感や自信につながるのだ。

 これまで「女性にモテない」とか「女性と縁がない」という男性クライアントたちともたくさんお会いしてきた。彼らに共通して言えることは、女性を少しも「いい」ものとして見ていないということだ。むしろ恨んでいたり、敵意さえ感じていたりするのだ。個々の男性の状況は違えど、どこかで女性を敵対視することを身に付けてしまったということは言えるのだ。彼らが間違っているのは、そういう体験をしてしまったことではなく、そこからより望ましいことを学ぶことをしないことだ。僕ははっきりそう断言する。だからある男性は女性に復讐したくなるし、女性をどこかで蔑視している男性もあった。決して彼らがモテないとか男性的な魅力に欠けているとかいうわけではないのだ。交際のノウハウを知らないとかいうような、技術的な欠損があるわけでもないのだ。女性のことを「いいなあ」と思えていないというのが「問題」なのである。

 僕はYさんのことが好きである。僕がYさんと付き合うのは、Yさんのことを「いいなあ」と思っているからである。「いいなあ」って思っているから、一緒に生きていきたいなと願っているだけのことだ。これを「恋愛」と呼ぶのなら、恋愛ってすごく単純なことではないか。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

 

 

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