2月10日(水):コロナ禍を生きる~混乱の状況
相変わらず足が痛い。鎮痛剤が底を尽きそうだ。明日は祝日だから薬局で買えないかもしれないと思い、午後、時間が空いた時に痛い足を引きずって薬局まで行く。なんとか鎮痛剤は買うことができた。ともかく移動、歩行がキツイ。
夕方から大掃除にかかる。足の痛みのせいで延期してきたけれど、できるところだけ取り掛かる。高所は無理だ。台に乗れない。低い所も無理だ。足を屈めることができない。中間の高さのところだけでもやっておこう。どんどん先延ばしになってしまう。
とにかく、キツイ一日となった。
コロナ感染にはかなり気を付けている。それでも近いうちに感染するか発症するかしてしまうのじゃないかという不安に苛まれている。その不安の中で毎日なんとか生を保っている。
オリンピックネタはもうどうでもいいのだけれど、話題になっているので思うところを書いて残しておこう。
森会長の辞任はないだろう。そのまま続投する形になるだろう。僕が思うに、代わりがいないのだろう。森会長の後を引き継ごうという人がいないんだろうと僕は思っている。誰もやりたくないんだ。オリンピックが中止と決まった場合、あれこれ問われるようになるのは、誰だっていやだろう。しかも直前の半年だけの就任で文句だけ言われたらたまったもんじゃないだろう。
ボランティア辞退者も多く、降板するスポンサー企業も増えているようだ。聖火ランナーを棄権する人も出てきている。みんな、オリンピックなんてやりたくないんじゃないか。そこまでして頑張ろうという人がいないんじゃないか。企業も同じだ。批判されてでもやり遂げようなどとは思わないのだ。もう辞めてもいいんじゃないかと思う。
現状でオリンピック開催して何になるだろう。史上最悪のオリンピックになるんじゃなかろうか。オリンピック史における唯一の汚点が日本になるかもしれない。コロナは蔓延していて感染者も減らない、ワクチンは足りない、検査も足りない、訪日する選手は少ない、すべて無観客、聖火ランナーは不足しボランティアも足りない、オリンピックを楽しめる一部の恵まれた人たち以外からは総スカンを食う、これじゃみすぼらしい大会しかできないんじゃないかという気がしてしまう。もう中止してよかろうに。
もし、オリンピックを絶対に開催するというのだったら、委員長の監督を置いておくべきであったし、ゴー・トゥーなんかもってのほかだ。しかも、ゴー・トゥーを再開しようとしているのだから狂気の沙汰だ。オリンピック前に感染の波を盛り上げようということになるのだからどうかしている。直前に感染拡大させておいて、それでも開催できるなどと本気で信じているのだろうか。
ワクチン頼みでこれまで来ているけれど、そのワクチン接種もまったく実現していないし、この期に及んで注射器がないなんてことを言っているのだからどうしようもない。容器一つにつき5回でやるしかない。余分なワクチンはロスにするしかない。
緊急事態宣言も結局は不成功だった。失敗とまでは言わないけれど、成功もしていないのだ。2月7日までに目標値まで下げると宣言しておきながら、ふたを開けてみればそこに届かず、もう一か月延期しますなんてことになっているのだから。一か月後にはさらに延期の話が出るのじゃないかという気がしている。
解除したらしたで感染者数は増えるだろう。短期間で増えることだろう。あっと言う間に元の木阿弥になることだろう。
先月の自殺者数は昨年と比べると減少しているということらしい。公表される自殺者数を僕はあまり信用しないのだけれど、前年比で減っているということは、確かに減っているのだろう。
ワクチン期待もあるかもしれない。助かるかもと思えると生きる気持ちが戻ってくるかもしれない。しかし、戦時中は自殺が減るというのと同じ原理で減少しているのかもしれない。どうも手放しで喜べない感じがある。
自殺はこれから増えていくかもしれない。どうにも生きていく手段がなくなる人たちが、すでに現れているのだけれど、今後さらに生み出されていくだろうから。
コロナは悲劇である。オリンピックが重なったことはさらに悲劇である。それが起きているのが今の日本であることは最悪の悲劇である。僕もコロナで死ぬか、自殺で死ぬか、いずれかで人生を終えるのかもしれない。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)