12月9日:女性友達の周囲の人たち

12月9日(金)女性友達の周囲の人たち

 

 ある人を理解しようと思うなら、その人自身に会ってみることが一番いいのであるが、それができない場合、次の三点をまず見てみるとよいと僕は考えている。一つは、その人の親である。親を知ることができれば、その人をどんな風に育てたかということが推測できる。二点目は、その人の付き合う友人を見るということである。中でも、その人と特に親しい友人を見ると、その人理解に有益である。第三点は、その人の就いている職業である。ある人が一つの職を選ぶ時、その選択にはその人のそれまでの人生が表されるものである。できれば、その人がその仕事をどんな風にこなしているか、仕事に対する姿勢を見ることができるとより望ましいのである。

 僕はこのブログで、女性友達のことを書いているが、少し、彼女の周囲の人たちにも目を向けることにする。

 彼女を通して、彼女の友人や知人のことを知ることもあったし、僕が直接お会いする人もあった。僕の印象では、みなどこか子供っぽくて、「ヒステリー性格」なのである。

 中でも、僕がもっとも腹を立てているのが、返ることのなかった僕のCDである。彼女の周囲の二人に、僕はCDを貸したのである。返すということなので貸したのであるが、これは返ってこないまま終わった。僕ははっきり申し上げるのであるが、彼らには返す意志が最初からなかったのだろうと信じている。彼ら二人がいつまでも芽が出ないということが、僕にはよく理解できるのである。

 この二人の内、女性には一枚、男性には三枚(CDの枚数で言えば八枚)貸している。一枚のCDをパソコンに入れるのに要する時間は、正確に測ったことはないけど、五分もあれば十分である。CDが八枚でも、一時間もあれば全部入れられるのである。貸した次の日には返って来てもおかしくないのである。それでも、僕は男性の方には二週間くらいはかまわないよと言っていた。

 結局、これらのCDは返ってくることなく終わったのであるが、僕にとっては大切なCDなのである。女性に貸した方は、特にお気に入りのCDで、レコードでも持っており、CDでも買い、さらに楽譜まで買って研究したり演奏したりしたくらい、僕にとっては思い入れのあるCDである。男性に貸した方は、三枚中、二枚は諦めがつくものであるが、一枚はどうしても返して欲しかったのである。と言うのは、その一枚と言うのは、僕が購入して二日目に彼に貸したものだからだ。その音源をパソコンに入れておいたので、CDがなくとも、僕はそれを聴くことができたとは言え、やはり返ってこないのでは、何のために購入したのやらという気持ちである。

 この女性にはそれ以前にもCDを貸したことがある。その時もなかなか返ってこなかったのであるが、それでも返してくれたので、僕は何も言わなかったし、根にも持たなかったのである。遅れてでも返してくれればそれでいいのである。遅くなったことくらいで、僕は怒ったりはしないのである。

 まあ、僕の方の事情はさておくとしても、何一つ悪びれた様子もなく、返却の意志も示さない彼らには頭に来ることも多い。結局、僕はそれを返さなくてもいいから、処分してくれと言っておいた。今さら彼らの手垢のついたCDを返して欲しいとは思わない。僕は善意で貸したのだが、彼らにはそれが伝わらないし、理解するだけの精神的成熟を果たしていないのだろうと思う。彼らがどれだけ僕のことを悪しざまに言っても構わないのであるが、僕は次のことだけは確実に言えると思っている。そもそもの種を撒いたのは向こうであると。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

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