12月8日:女性友達に捧げる(3)

12月8日(木)女性友達に捧げる(3)

 

 人はなぜ自分と関わりのあった人のこと、あるいは、失った対象を語りたくなるのだろうか。プラトンがソクラテスを語ったように、弟子たちが孔子の言葉をまとめたように、アーネスト・ジョーンズが師匠であるフロイトの伝記を書いたように、なぜ、人は失った人を語りなおしたくなるのだろうか。僕には謎だった。

 別れた女性友達のことを、今になって、僕は語りたくなっている。もちろん、彼女を非難したり中傷するようなことを述べたいのではない。彼女のプライベートなことを暴露しようなどという意図もない。僕はそういうことはしたくないのである。彼女のことを書きたいのではなく、僕にとっての彼女のことを書きたいと思っている。

 彼女との関係において、僕が何を体験し、何を感じたのかを残しておきたいのである。今、僕に感じられているのは、書き残しておきたいと僕が思うのは、彼女が僕にとって意味のある人だったからなのだということである。僕の人生において、彼女をきちんと位置付けたいという感じに近いように思う。だから、これは彼女を克服するための試みであるようにも思われている。

 彼女は確かに僕の何かを変えたと、僕は実感している。彼女から学んだこともたくさんある。彼女を恨みたくないのは、たとえ一時期でも、幸せな日々を僕にもたらしてくれたからである。

 しかし、つき合っている頃は、たいへんなことも多々あった。彼女は一度こんな話をした。過去において、彼女と付き合った男性たちは、みんな「成功」していると。僕はその時には指摘しなかったのであるが、よく聞いてみると、実際は彼女と別れてから彼らは「成功」しているのである。僕は、今ではその辺りの事情がよく分かるようになった。

 彼女と交際しなくなって、僕は気持ちがすごく軽くなっていくのを感じた。これは肩の荷が下りたような感覚だった。一方で、恐らくこれは彼女に対する怒りの感情が手伝っているのだけど、彼女よりも幸せに生きようという意志が生じてくるのである。この意志は、闘志と言ってもいいくらいの激しいものだった。何が何でも、彼女より幸せになろうと躍起になっているのである。それはともかく、別れてから、彼女との交際が僕にとって、どれだけ負担だったかを思い知ったのである。同時に、彼女に注いでいたエネルギーが仕事に集中できるようになっていった。だから仕事に精が出せるのである。彼女の以前の男性たちもそのような体験をしたのかもしれない。

 では、一体、何がそんなに負担になっていたのだろうか。関係が悪化していった頃、僕は彼女に対して、どうしていいか分からなくなっていた。すごく愛されていると感じる時もあれば、何とも思われていないのではと感じる時もあった。彼女との関係において、僕は自分が非常に不安定な立場に置かれていくような感じを覚えた。一定の位置を保つことが困難だと感じられていた。この不安定感は、僕の内面を彼女のことで占めることとなった。例えば、一日デートをする。それは楽しいデートであるべきなのに、僕は終わってから、あれで良かったのだろうかとか、彼女の言いたかったことはどういうことだったのだろうとか、僕自身はそれでよかったのだろうかと、くよくよ考えることが多かった。つまり、彼女と離れてからも、内面は彼女のことで占められてしまっていたのだ。彼女のことばかり考え、彼女のことが中心となっていた僕は、言葉は悪いが、ある意味、彼女に支配されていたのだと思う。これが負担の要因だったと、今では理解している。このことは、明日、もう一度取り上げようと思う。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

 

 

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