12月7日:女性友達に捧げる(2)

12月7日(水)女性友達に捧げる(2)

 

 苦しい関係だったけれど、僕は彼女と出会えたことはとても良かったと感じている。願うなら、彼女の方もそう感じてくれていたら嬉しいと思う。関係が良好だった間は、毎日ものすごい充実感があった。酒呑みだった僕が、彼女がいたらお酒が欲しくなくなったと思うほど、僕は自分が満たされていくような実感があった。だから、僕の方でも、少しでも彼女の役に立つ人間になりたかった。

 5月の連休頃から、彼女がフワフワし始めた。僕はそれがすごく気になっていた。不安定で落ち着きをなくし、すぐ目の前の物事に簡単に飛びついて行ってしまっているように僕には映った。浮き足立っているというのか、足が地に着いていないという印象を僕は抱いた。僕との約束を忘れがちになったのも、その頃からだ。当時、僕は気になっていながらも、一体彼女の中で何が生じているのか、どうしても掴めずにいた。一方で、彼女に対して、許せない感情が僕の中で生じ始めてきた。

 愛していながら憎まなければいられない自分が物凄く嫌だったが、僕はそこから抜け出すことが難しかった。僕の言動の一つ一つが、僕の意図したこととは別の形で働いてしまうようだった。彼女を誘うのでも、彼女を強制してしまっているのではないかという恐れが生じたりした。いつしか、僕は自分が加害者のような感覚に襲われていくのを感じた。もちろん、加害者になるつもりなどない。だから、僕は加害者ではないのだということを、何とか実証しようとするのだけれど、やればやるほど空回りするようで、却って、加害者意識を強めてしまうのだ。そればかりか、僕の方でも彼女の言動の一つ一つが、僕の神経を逆なでするように体験されていた。何かが噛み合っていないと感じていながら、それを修正しようとすると、ますます噛み合わなくなっていくという、そういう歯痒さが感じられていた。

 彼女はますます、僕ではなく、僕以外の人たちと接触し、仲良くなっていった。僕はそれを目の当たりにする。僕の中ですごく嫌な感情が生じる。それは「境界性パーソナリティ障害」と診断された人から、完全な悪を投影されてしまった時に体験する感情ととてもよく似ていたのを覚えている。これは言葉で表現するのが難しいのであるが、「悪」を強制的に押し付けられるというような感覚である。

彼女と付き合おうとすればするほど、僕は自分が「悪」になっていってしまうような感覚を覚えた。挽回しようとすればするほど、僕は自分がますます「悪」の立場に染まっていくように体験したのを覚えている。

 僕の体験した限りでは、そこから僕たちの関係は実に不安定になっていく。いい時はとてもいい関係を体験する。でも、ダメな時はとことんダメな関係を体験してしまう。僕もとても苦しい思いだった。きっと、彼女も苦しい思いをしたことだろう。これを回避するためには、僕たちは表面的な部分で付き合うしかなかった。表面的に良好であると見せかけることで、内面的な関係は回避していたのである。もちろん、これは僕の方の印象であって、彼女の側でどのように体験されていたかは、僕は知らないのだけど。

 でも、これだけは誓って言うのであるが、僕は彼女には暴力を振るわなかった。精神的苦痛はお互いさまである。でも、どれだけ頭に血が上っても、僕は彼女には手を上げなかった。それだけが、僕の唯一の愛情表現だった。彼女がそれを分かってくれていたかどうか、僕にはもう確かめようもない。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

 

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