12月7日(月):コロナ・ジェノサイド~一次予防の破綻、他
このシリーズも再開しようと決めておきながら一週間ほど手付かず状態になってしまった。
感染者数は増加傾向であるようだ。あまり楽観視できない状態にある。この現状よりも、僕は少し時間をさかのぼって、書いておきたかったことを書いて残しておこう。
(スローガン主義)
東京都知事は「三密」に続いて「五つの小」なるものを打ち出した。僕は「またか」という気持ちで眺めていた。そういうスローガンは要らない。
スローガンやキャッチコピーのような言葉に、僕はあまり魅力を感じないし、そういう言葉は思いのほか無力なものだと思っている。概念や思想が分かりやすく表明されているという観点では異論はないのだけれど、そういう言葉を掲げていればそれでオーケーだと考えるとすれば、それは間違いだと僕は思っている。
そういう人は、「名言マニア」(と僕は勝手に名付けている)の人たちと大差がない。ある意味、幼稚なのだ。名言を聞けば、それで何かが変わったかのように感じたり、ただ感嘆したりするだけである人は、本当はあまりにも無力な自分を経験しているのだと思う。まあ、それはさておき、「五つの小」とはねえ。
一体、何をどうしろというのか、「三密」よりもはるかに分かりにくい。三密は、三つの密を避けましょうという形で、行動がハッキリと示されていたように思う。「五つの小」って、程度を小さくしましょうという提言であるだけに、解釈に個人差が生まれてしまうようにも思う。
会食は「小一時間で」と言われても、人によって解釈は変わるものだ。40分を小一時間とみなす人もあれば、70分を小一時間程度と解釈する人もあるだろう。そもそも会食でいちいち時間を測定しないだろうからどこまで実現可能な話なのか不明である。どの時点からの小一時間なのかも個々人に任されているようなものじゃないか。この小一時間には、入店前の時間も含むのか、席に着いてからの時間なのか、乾杯してからの時間なのか、すべて個人の解釈に委ねられているわけだ。
「小声」で会話ってのも、まったく難しい注文である。小声で話しても相手が聞き取れないのであれば大声出さざるを得ないだろう。どの程度のボリュームなら許されるのか、いちいち基準が無いのだから、こんなの意味があるのだろうか。喉の強い人や普段から声の大きい人の小声は、きっと声のか細い人の大音量に匹敵するかもしれない。
「五つの小」が定着しないはずだ。
(第一次予防の破綻)
政府の感染症対策委員会が、もはや個人レベルではどうにもできない段階に達したということを表明した。尾身さんが言っていたのだけれど、この声明が思いのほか評価されていないように思う。これ、けっこう恐ろしいことを言っているのだけれど、誰もそこを取り上げないようだ。
予防には三段階あると言われている。まず、一次予防として病気にならないことというのがある。二次予防として、病気になったらそれが重症化しないように防ぐことというのがある。三次予防として、回復後は再発や後遺症を予防することというのがある。そのように予防は三段階に分けることができる。
医療が携わるのは、主に二次予防の段階である。あと、三次予防でも多少は携わるかもしれない。一次予防は主に個人レベルの話であり、この段階では医療はあまり携わらないことが多い。
尾身さんの声明は、もはや一次予防の段階ではなくなったこと、一次予防の破綻を表明しているように僕には聞こえたわけだ。一次予防が破綻するとは、要するに、病気になるほかないということなのだ。それを防ぐことはできないということを意味しているわけだ。僕にはそのように聞こえるのだ。だから恐ろしい表明をしたものだと思う次第である。
個人レベルでは防ぎようがないこと、つまり一次予防では防ぎきれない段階にきていること、その表明を僕は絶望的な気分で聴いた。
(イートよりトラベル)
飲食店、特に呑み屋は問題視されることが多いけれど、僕はトラベルの方が問題だと思っている。
飲食店は客が退席したら必ず座席やテーブルを消毒する。きちんとしている店はそれをしている。観光地ではそれができないのだ。そこが一番大きな違いだと思う。
ゴートゥーを利用してか、京都もたくさんの観光客が来た。紅葉の時期はけっこう人が多かったように思う。観光地も観光客が立ち止まらないようにとか、一方通行にするとかといった対策は取る。しかし、それは不十分であるように僕には思えてくる。
渡月橋から紅葉の嵐山を眺める。わあ、きれいなどと言って欄干に触れる。10分前に欄干のその場所に誰が触れたか分かったものじゃない。橋全部を消毒できるわけでもないので、どこにウイルスが付着しているか分からないのだ。
従って、観光地では、立ち止まらないこと、一方通行を守ることに加えて、手をポケットから絶対に出してはいけないというルールを設けた方が良い。同じく、一切口を開かないというのも付け加えよう。つまずいて転んでも手を出して受け身をとってはいけない。そこにウイルスが落ちているかもしれないからだ。立ち上がる時も手を使わず脚力だけで立ち上がる。そこまで徹底しないといけないと僕は思っている。
まあ、トラベルは僕は一切無縁だ。行動範囲を限りなく制限している。会食は一度だけした。先月の終わりころのことだ。今年もいろいろあったけれど、ささやかな忘年会をしようということで、やったのだった。
あれから丸一週間は過ぎているから、仮に感染していても人にうつす可能性はかなり下がっているはずだ。今のところ、熱もなければ、倦怠感もない。味覚はあり過ぎるくらいにある。まあ、大丈夫だろう。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)