12月5日:唯我独断的読書評~『なにわへこ』

12月5日(月)唯我独断的読書評~『なにわへこ

 

 速読の練習用と称して、叩き売りされている古書をごそっと買い込んだことがある。その中に邦光史郎の「なにわへこ」という長編小説があった。一か月ほど前にそれを読んだのだった。

 昨日、「人間万事塞翁が馬」という諺について書いたけれど、これを最近どこかで読んだぞとは思っていた。それで振り返ってみて、僕はそれを「なにわへこ」で読んだのを思い出したのだ。

 この長編小説、なかなか面白く読んだ。戦後、日本へ復員してきた男性が主人公である。この主人公が闇市をやり、薬問屋を開き、最後はスーパーマーケットを持ち、勢力を拡大していくまでの半生記である。時代や経済の流れに翻弄され、その度に「人間万事塞翁が馬。どこにどんな縁や機会が転がっているか分からない」と、自らに言い聞かせ、「チェスト!」とばかりに苦境に立ち向かっていく主人公の姿が印象的だった。

 僕は一日でささっと読み下していったのだけれど、意外と細かなところまで覚えていて、どこかしら主人公と身を重ねていた感じがしないでもない。

 同書の中で、僕がもっとも印象に残っている一文は、「女のことで苦労するのも男の修行の一つ」というフレーズである。主人公もなかなか人生の伴侶が得られなくて苦悶する。僕は読んでいて、そうか女のことで苦労したり、悩んだり、苦しんだりすることも、男にとっては修行なのだという感覚を教えられたように思った。修行という言葉が相応しくないということであれば、これを「経験」や「学習」というような言葉に置き換えてもいいだろうと思う。それはともかく、僕も女性友達のことでは、一つの修行をしたのだなと、今では捉えるようにしている。

 女性友達と会わなくなってから、仕事に集中できるようになっている。少数ながら、11月は新規のクライアントがあったが、リピーター率100パーセントである。昨日の午後からのクライアントが来てくれて、11月新規の人が、全員二回目を受けに来たことになった。なかなか順調な滑り出しである。彼女を始め、彼女の周りの人たちがどうなろうと、僕は僕の人生を追及するつもりである。彼らもどうぞ彼らの人生を生きて下さい、それに僕は関係がありませんよ、という思いである。

 彼らは僕よりもはるかに裕福である。でも、僕は彼らほど人生に退屈はしていない。刺激的な毎日を送っている。このブログに関して、一人のクライアントから、よくそれだけネタが続きますねと言われた。しかし、一日生きていれば、このブログに書くようなネタというのは5つも6つも得られるものである。そのすべてを書こうとすれば、逆に書く方が追いつかないのである。それだけ、僕には周りに新鮮なテーマが転がっているのである。僕の方が、彼らよりも幸福な毎日を送ってきたかもしれない。そんな実感が湧いている。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

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