12月4日:要らんことを

12月4日(金):要らんことを

 

 今日、夕方のクライアントが来られるかどうか懸念があった。少し厳しい場面になると退却してしまう傾向のある人なので、どうなるか心配だった。それはつまり、前回の面接がこの人にとって厳しいものになっていたような気がしているためである。結果、僕の思い過ごしであった。彼は来談した。

 僕は彼を子ども扱いしないし、病人扱いもしない。それだけは決めている。あまり彼の個人的な事柄には触れないようにしよう。以下に記述することも、彼をいわば題材にしているけれど、論じたいことは彼個人のことではない。

 彼は現在週に2日働いている。5年くらい無職の状態が続いている。さらにそれ以前は正社員として働いていた経験もある。

 僕は彼に週2日のアルバイトを週3日に増やせと言う。そうすればここの料金も払えるし、生活にも余裕が生まれる。一日増やすだけで大きく変わるのだ。いきなり週5日はキツイとは思うけれど、2日を3日にするだけならそれほど大きな負担とはならないだろうと思う。

 彼の雇用者もまたそういうお願いをしているそうだ。もう一日シフトに入ってくれと彼は言われているのだ。そして、当の彼自身ももう一日増やしたいという気持ちがあるのだ。僕もまた、一日増やすくらい、今の彼なら耐えられるだろうと見込んでいる。なら、話は簡単だ。彼はシフトを一日増やせばよい。

 ところがネックがある。一つは彼の周囲の人間だ。この人物が彼の就労を阻むところがある。もう一つは彼の通っている精神科医だ。この医師は、キツかったら二日を一日に減らせと言っているそうだ。要らんことを言うな。

 もし、彼が週5日の勤務がきつくて、少しずつ勤務日数を減らしているというところであれば、二日でキツイなら一日にしてもいいと言えるだろう。でも、彼の状況はその逆である。無職の状態に戻さないことが肝要である。そちらに近づくことは、どうしてもそうせざるを得ないという場合以外、厳禁である。

 実はここにもう一つのネックがある。それは彼の臆病である。週二日をこなしているのであれば、週三日になってもできるものである。最初は一日増えたということでしんどい部分もあるかもしれないけれど、じきに慣れていくだろうと思う。彼は自分が耐えられないと思い込んでいる。今できていることに、もう少しだけ加わるだけなのだ。さらに言えば、5年前までは彼に普通にできていたことなのだ。僕は彼の背中を押したい。

 あまり深いところまで入り込まないようにしよう。しばらく現場を離れていたら、そこに復帰することに不安を覚えるものである。これはだれでもそうではないかと僕は信じている。数か月の離脱なら、まだ仕事を覚えているし、仕事の方でもそんなに大きな変化は起きていないはずである。これが数年になると、どうしても尻込みしてしまう気持ちが生まれるのではないかと思う。これが臆病ということなのだ。

 彼の場合、この臆病という傾向がけっこうな障壁となっているように僕は見立てている。臆病故に、彼は仕事に尻込みしてしまうし、臆病故に彼は生活改善ができないでいる。確かに無茶なことをしろというわけではないし、僕もそこまで非情ではない。ただ、できることはできる範囲でやっていこうということだ。僕の見るところでは、彼はそれをしていないというこなのだ。できる力はあるのに、その力を使ってみようとしないのだ。

 それで、何が一番怖いことであるかと言うと、何もできなくなっていくことである。「心の病」にはそういう要素がある。かつてはできていたことができなくなっていくのである。もちろんこれは加齢とは無関係である。体力的な話ではなくて、精神的な領域の話である。

 一旦、できないの方向に進みだすと、そこから取り戻していくのはたいへんである。少なくとも、今できていることだけは維持していかないといけないと僕は思う。服を着替えること、歯を磨くこと、お風呂に入ること、食事をすること、そういうことの一つ一つができなくなってしまわないようにしなければならないのだ。

 その中には労働も含まれる。今、働くことができているのであれば、それは何があっても死守しなければならないと僕は思っている。働けなくなってしまったら、次にまた働く時に一層たいへんな思いをする。

 長距離を走る時には、ペースを落としてでも走り続けなければならない。止まってしまってはいけないのだ。止まるとラクになるし、回復もする。しかし、次に再び走り始める時には多大な努力を要する。最初は順調であるけれど、速やかに疲労に襲われていく。5キロ走った時点で止まると、次は3キロしか走れなかったりする。息切れが激しくなるし、持続が困難になってくるのだ。僕の経験ではそうだ。中断を繰り返すと、最後には走れなくなってしまう。つまり棄権するようになる。

 労働であれ、日々の習慣であれ、何事もそうではないかと僕は思う。僕の経験を押し付けることも控えなければならないのだけれど、今、彼に止まって欲しくはないのだ。医師も周囲の人間も、今の彼に要らんことを言わないでほしいところである。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

関連記事

PAGE TOP