12月4日(金):専門だけでは仕事はできず
今日は溜め込んでいた事務作業をしようと思っていたのだけれど、一件面接をすることになった。新規のクライアントだった。
あまりクライアントのことを書くわけにはいかないが、彼女はこれから更に「悪く」なっていくだろう。彼女が以前にそれを体験した時より、明らかに適応ができなくなっているからである。そういうプロセスを彼女は見ない。まあ、それはこの人に限ったことではなく、大部分の人はそういう視点で見ないものである。
この女性の訴えていることは、はっきり言えば、精神医学的な診断名が付けられるものである。それをしてしまうと越権行為になるので、僕は控えたのだが、彼女のためにはそれをした方が良かったのかもしれない。早い目に治療に取り組むことができるかもしれないからだ。
彼女の周囲の人も何も分かっていはいない。一般の人には精神医学的な知識が欠けているものだから、それも仕方がないのかもしれないが、彼女の訴えは「妄想」になりつつある。それに至る前の「妄想的信念」と言う方がいいかもしれない。あの「訂正不能性」は一つの「症状」として見られなければならない類のものである。
まあ、あの女性はここには二度と来ないだろうと確信している。治療の前に、治療意欲を育てなければならない人だ。ただその場限りの助言を求めてあちこち彷徨っているようでは、それもまだまだという感じがする。
夜は少しビールを飲みに行く。ムシャクシャする時は欲しくなる。
一人、面白い人と出会った。哲学の先生なのだ。大学で非常勤講師をされている若い先生なのだけど、ぜひお近づきになりたいと僕は思った。いろいろ哲学に関することを教えてほしいと思うし、教えてもらえなくても、その種の会話ができるのが嬉しい。彼の専攻はニーチェだそうだ。それなのにショーペンハウアー関係の講義をしてほしいとか頼まれていたようだ。なかなか専攻のものだけで仕事ができないものだと、僕も思う。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)