12月31日(火):大晦日にて
今年も今日で終わりだ。大掃除だけしに職場に来る。
まず換気扇だけはやっておきたいと思い、一番にとりかかる。そして、それだけで一日が終わった。思っていた以上に手強かった。
夕方、早目に職場を後にする。大晦日の晩に遅くまで残られたら管理人さんたちもストレスになるだろうと思うからだ。
人通りは多くない。電車もさほど混んでいるわけではなかった。なんだか嵐の前の静けさという雰囲気がないこともない。日付が変わる頃にはもっと人が多くなっているんだろうなあと思いつつ、そんなの僕には関係がないと思い、さっさと帰宅する。
カウントダウンして、その後みんなで初詣に行こうと誘われていたけれど、僕は辞退した。深夜の寒い中を外出するのが億劫に感じられたからだ。我ながら年を取ったなあと感じる。少しの無理もしたくない。
帰宅して例年通り年越しそばを食する。何の感慨も湧かない。儀礼的にというか慣習的にというか、そういう感覚で食べた。
その後、テレビを見る。去年は観ず、今年も観ないと決めていた番組だ。ダウンタウンの笑ってはいけないという6時間の番組だ。ついつい見てしまい、小さな中断を挟みながら、結局、最後まで見てしまった。それもただ見ただけではない。モグモグしながら見た。けっこうな間食もやってしまった。酒は飲まなかったけど。
あれもなあ、面白いと思って見ているわけではないのだ。面白い個所もあるけれど、どちらかと言うと、見始めたから最後までダラダラ見てしまうという感じになるんだなあ。
それで6時間という長丁場をテレビの前で過ごしても、最初から最後まで通して見たとしても、何一つ達成感とか充実感とかがない。年末年始の番組というと、大概がそんな感じになる。いっそのこと、6時間、本を読んでいればよかった。6時間も読めばけっこうな量が読めただろうにとも思う。
遠くの方から除夜の鐘が聞こえる。それで年が明けたことが分かる。
除夜の鐘も人間が突いていないところもあるそうだ。小耳にはさんだ話だ。なんでもオートメーション化する時代だ。自動車の自動運転は許せても、全自動の除夜の鐘は何となく抵抗感がある。あまり自動化してほしくない部分だ。
そのうち、お坊さんもアバターでつくって、木魚や読経が自動化される時代もくるかもしれない。そういう時代が来ることが恐ろしいのではなく、そういう時代が来ることに違和感を覚えなくなることが怖い。
さて、2020年にすでに入っている。今年はどんな恐ろしいことが待ち受けていることやら。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)