12月30日(月):客を見て
今月はとかく忙しい。ブログも書くヒマがないほどであった。
足が痛いというのも一因だ。歩行や移動にいつも以上に時間がかかる上に、変に体力を消耗する。とかく疲れてしまう。今月はずっと痛みに悩まされっぱなしだった。
深夜のバイトは続けている。今月は一日も休まないと決めていたが、それもなんとか実現できそうである。
コンビニのいいところはいろんな客を真近で見れることである。いろんな人がいるものだ。その人たちを見て、思うところがあればブログネタになるし、自分もマネしてみようと思うこともあれば、ああいうことはしないでおこうと決意することもある。人のふり見てわが身を正そうというわけだ。
今月も何人か記憶に残る客たちがいた。
ある若い男性は4点ほど買い物をされたのだ。レジ袋を彼は断った。ちなみに僕だったらレジ袋を買う。品物の大きさにもよるが、3点以上買った場合、レジ袋を買うと僕は決めている。この男性は4点も購入して、それもまあまあ嵩張るものを購入して、袋を断り、商品を両手で抱えるようにしてお帰りになられた。
およそ10分後、彼が店に戻ってきた。財布を見てないかと彼は訪ねる。どこかで落とされたのだろう。僕は見ていないと答える。買い物を済ませると真っ直ぐ外へ出たのだから、外で落としている可能性も高いだろうに。
そういうことが起きるからレジ袋を買った方がいいのだ。彼は3円のレジ袋をケチったために大損をこいたというわけだ。
レジ袋と言えば、お客さんに袋をつけるか僕は尋ねるのだけれど、ある年配の男性は「それ、無料か」と訊いてくる。僕は「3円かかります」と答えると、怒ったように「要らんわ」と言う。どうも僕が押し売りをしているかのように受け取ったようだ。
外国ではチップという慣習がある。レジ袋もチップみたいなものと思えばいいのに。3円で店員が商品を袋詰めしてくれるのだから、そのサービス料と思えば安いものである。どうも日本人はまだまだ国際化からは遠いようだ。
4人ほどで買い物に来て、駐車場で飲食する若者グループもいたな。立ち退いてもらったのだけれど、案外、素直な子たちだった。
こういう時、僕にはいくつかのパターンがある。まず、少々の時間は大目に見る。駐車場に座り込んで、食べ終わるころ合いを見計らってから声をかける。それまでにどのパターンでいくかを決める。
この時は「ここで座り込んでると危ないよ」パターンを使った。実際、自動車が突っ込んでくることもあるので危ないのは事実である。
それから、「ここでトラブルが起きることもある」って話をして、「君たちが事故やトラブルに巻き込まれたら僕も悲しいから、早くお帰り」と持っていく。
最後に「気をつけて帰るんやで」みたいな一言を付け加えておくと、彼らも悪い気はしないようだ。
いまどきの若い人は素直である。中年や高齢者の方がタチが悪いことが多い。とかく頑固になりがちなのだな。無理難題を押し付けてきて、それはできないと答えても、頑としてはねつける。何が何でも自分の要求を押し通そうとする頑固さがある。もっとも、年寄りだから頑固なのか、人格障害だからそうなのか、その辺りは何とも言えないのだけれど。
どういうわけか、僕が勤務している店では、ローソンよりもセブンの客の方がマナーが悪いという印象を持っている。外見ではローソンの客の方がガラが悪そうに見えるのだけれど、案外、サッパリした感じの人も多い。セブンの方は、見た目は良さそうなのに、やってることがタチ悪いみたいな感じの人をよく見かける。距離的には3キロほど離れているのだけれど、それだけの距離でも客層がこうも違うのかと思ってしまう。
小さなマナー違反をするのを「民度が低い」などと最近は言うそうである。要するに、ローソンの客よりもセブンの客の方が「民度が低い」ということだ。あくまでも僕が勤務している店ではということであるが。
民度が低いってのは、要するに、適応障害ということなのだと改めて思った。店内のゴミ箱があるにも関わらず、店の中でゴミをポイ捨てするとか、そういう行為は適応障害と僕はみなしている。それはつまり、店という環境に適応できていないことを表しているからである。
適応のいい人は、一歩店に入ると、店の環境に適応するし、「客」というポジションを速やかに取る。僕はそう思う。だから店に迷惑をかける行為をしないし、客としてのマナーも守れるというものだ。民度が低いというのは、そういう意味では、環境に適応できないだけでなく、役割アイデンティティを取れないということになるのかもしれない。
クリスマスがあり、年末になると、夜遅くまで遊んでいる人もある。景気の関係もあるのかもしれないけれど、今年はそれほど客は多くないなと感じている。特に、夜遅くまで遊んでる人をあまり見かけない。寒いというのもあるかもしれない。早い時間に買い物を済ませて、あとは家で過ごすというパターンが増えたのかもしれない。
それでも深夜徘徊する人も見かける。年末だから羽目を外してる人もあるかと思うのだけれど、それでも深夜徘徊している人は精神的に不健康そうである。これは前にも書いたかな。深夜徘徊は精神病の一症状だと僕は捉えている。自分の生活並びに自分自身を律することが困難になっていると思われるからである。
それは別としても、結局、行くところもなく、金もないという人が多いような気もする。コンビニで時間を潰すという感じだ。そんなことやってるとさらに自分が惨めになってくるだろうに。行くところもなく、どこかに行って遊ぶお金もない自分をさらに見てしまうことになるだろうに。さっさと帰って寝た方がずっとマシなのに、と僕は余計な心配をしてしまう。
こうして人を見て、自分だったらこうしようなどと考える。実際にできるかどうかは別問題だけれど。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)