12月26日:下手な演奏

12月26日(月)下手な演奏

 

 女性友達とのことを書いてきた関係で、僕はこの人たちのことも書いておきたいと思うようになった。これは彼女の店で時折演奏する素人ミュージシャンたちのことで、彼らの人間性であるとか性格であるとかいうことではなく、その演奏についてである。

 彼らの演奏はきっちりしているのだが、聴いていて面白くないのである。おまけに聴いた後に何も残らないのである。他のお客さんからは「上手やなあ」と言ってもらえているのだが、僕の記憶している限り、「いいなあ」とは言ってもらえていない。「いい」と言ってもらえないのは、やはり何かが演奏に足りないからだと思う。

 僕は二つの要因を見出している。一つは、彼らは自分の演奏する曲について十分に理解を深めていないということである。スタンダードのある曲を演奏する。僕は、その曲は音のつながりが、とてもスムーズに聞こえるように並んでいると思っている。だから、その曲は、僕の解釈では、その流れを損なわないように演奏しなければならない。ところが、メロディを受け持つ人は、遊びのつもりでか、トレモロを挿入したりする。トレモロとは音を小刻みに刻む行為である。また、流れを生み出すためには、ベースは四分音符を崩さない方がいいのに、二分音符を挿れたりするのだから信じられない。ただでさえ、ドラムレスのメンバーなのに、そういうことをすると音が空隙だらけになるというものである。こうして原曲の持つ良さ、素材の良さが台無しになるのである。

 二点目は彼らのソロ演奏である。一言で言えば、クライマックスというか、聞かせ所、盛り上がりや山場のない演奏なのである。だから平板で坦々としたソロを順次展開していることになる。だから面白くないのである。聴いていて、「おっ!」と思わせるような所が見当たらないのである。ある意味では基本に忠実で、オーソドックスな演奏をしていると言えるのかもしれないけれど、もう少し、アレンジにも気を付けるとよいのだが、きちんとリハーサルをしていないのは明白である。

 こうした演奏で基本にある姿勢は、その演奏はただ自分たちが愉しむだけのものであるということだと僕は捉えている。自分たちだけで愉しんで、客はそれに付き合わされるという構図である。一曲だけならまだ聴けるのであるが、これが二曲、三曲となっていくと、同じことを繰り返しているような演奏に聞こえてしまう。つまり、面白味がないということになる。

 僕が働いている高槻という所では、毎年「ジャズストリート」なるイベントを開催している。ゴールデンウィーク中の二日間に催されるのである。最初の二年くらいは僕も見に行ったりしたけれど、今ではまったく興味がない。上記二つの欠点を随所で見出してしまうのである。もちろん、演奏自体は無料だから、僕も怒るわけにはいかないのだが、これで有料だったら、僕は間違いなく「金返せ!」と怒鳴っているかもしれない。結構、聴いていられない演奏もあるのだ。

 まあ、あんまり悪口めいたことを言うのはよそう。少なくとも、彼らは僕のピアノ演奏よりかはましな演奏をしているのだから、そこは認めないわけにはいかない。

 何よりもやっている自分たちが愉しめなければならないと言うのは、一つの真実である。それは演奏にしろ、お店にしろ、あるいは料理を作ることにしろ、テレビ番組を作るにしろ、同じである。それが相手にもうまく伝わるならいい。しかし、それが当人止まりになっている場合もけっこう多いのではないだろうか。「自己満足」や「一人よがり」などと言われてしまうものである。僕がこのサイトでごちゃごちゃ書くのも、確かに「自己満足」や「一人よがり」であるが、読む人に何かを与えたいとは常に願っているところである。読んでくれる人にそれが伝わっているかどうか疑問なのだが。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

 

 

 

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