12月23日(木):忙しくないのが無難
北新地のビル放火事件があって、ウチは大丈夫かとクライアントから尋ねられる。僕は答える。「ウチはあのクリニックさんほど繁盛してないので大丈夫ですよ」と。尋ねた人は笑うか、「またまた~」とか、そんな反応を返してくる。どうやら僕が冗談を言ったと思っているようだ。まあ、そう思うならそう思っていただいて差し支えはないので僕はそのまま流す。
放火事件の犯人のことはわからない。マスコミの報道だけでは何とも言えない部分が多い。だからこの犯人がそうであるとも断言できないのである。
僕の言っていることは簡単なことである。いいお医者さんがいて、クリニックが繁盛する。つまり患者さんがその医師のところに集まるようになる。患者が増えれば増えるほど、医師が一人の患者に割く時間は短くならざるを得なくなる。患者が医師の注意を自分にもっと惹きつけたいと願うとしたら、その人はどういうことをするだろうかということを考えたらよい。目立つ問題行動をするなり、派手な症状を出すなりすれば良いということになる。
先週のブログで、犯人とクリニックとの間でトラブルがなかったかどうかを警察が調べるという報道に対して、僕はトラブルなんて見つからないかもしれなと書いたのだけれど、それは上記の理由による。
常にトラブルを起こす人は常に注目されているので、それ以上に問題を起こす必要もない。それに、派手にトラブルを起こす人は、その都度、その人の中で「完結」するものがあることも多い。つまり、相手に対して派手にキレるのだけれど、相手とスパッと縁を切るというタイプの人もある。
もっと普段から目立たなくて、大人しくて、ノーマークだった人がある日いきなり問題行動を起こすということがけっこう多いのである。
そういうことは他の場面でも見られる。
例えば、クラスの中には目立つ子もいれば目立たない子もいる。目立つ子は普通にしていても目立つのである。目立たない子が目立とうとすれば、それこそ普通のことをやってはダメであり、何か突拍子もないことをやらなければならなくなる。
そうして今までまったく目立つことのなかった子が、ある日いきなり問題行動なんかを起こして、一気にクラス中の注目を集めるなんてことが起きたりするわけだ。
また、子供の問題で訪れる親たちの話を聞くと、確かに皆が皆そうというわけではなけれど、複数いる子供のうちもっとも目立つことがなく、家族の中心になることもなかった子に問題が生じているといった例もけっこうある。
これは承認欲求が満たされないためであるということなのか、そのように考える人もあるだろう。僕は個人的には承認欲求なんてものは人間には無いと信じているので、そういう言葉は使わない。承認欲求なんて概念を持ち出すともっと大事なものが見えなくなると思うのである。
一般的に承認欲求と呼ばれているものは、僕の言葉で言えば「一員になりたい」欲求なのである。社会の一員であるとか、集団の一員、家族の一員など、他の構成員と対等の一人の人間として所属したいという欲求である。
このことと承認欲求と何が違うかと言えば、承認欲求の場合、それがマイナスの否定的な承認であってもその欲求が満たされるということを意味するのだが、その点が異なるのである。殴られることによっても承認欲求が満たされるのである。一員になりたいという方はそうしたマイナスを含まないのである。
従って、一員として所属したい欲求は、自分が受け入れられるか疎外されるかしかないのである。マイナスの形で満たされることはないのである。
さて、話が少し逸れたようだ。最初の部分に戻ろう。クライアント、あるいは患者さんであれ、一人一人に十分な時間を割いている限りああいう事件は防げると僕は考えているわけだ。もっとも、それだけで完全に防げるというわけではないとしても、ある程度は防ぐことができると思う。従って、患者さんに十分な時間を割くことができなくなるほど繁盛してはいけないのである。僕から見ると、あのクリニックさんは多くのことをやりすぎだ。代表者はかなり手一杯になっていたんじゃないかという気にもなる。そんな中で疎外感を抱いてしまう患者さんもいるかもしれない。病院が繁盛すればするほど、そこから取り残される患者さんというものが現れるものだと僕は考えている。
いや、これは医師だけの問題でもないのだ。僕のクライアントでも精神科に通院していたという人がけっこうおられる。その治療について話を伺うと、中には受付の人のことや研修生みたいな人のことをよく覚えているという人もある。医師よりもスタッフの方が印象に残っているということなんだけれど、これは理解できる話である。そのスタッフたちの方がこのクライアントのことをよく見ていたかもしれないし、時間を割いてくれていたかもしれないのだ。幅広くやってしまうと、それぞれのスタッフもまた手一杯になってしまうかもしれない。
僕の所はそんなに忙しくないから大丈夫だという理由が分かっていただけたであろうか。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)