12月22日(日):ポー4作品
昨日と今日は勉強会に参加して不在だった。どういうわけかポーが読みたくなり、職場に立ち寄り、書架から「ポオ小説全集3」を引っ張り出した。帰宅して、寝るまでの合間を縫って、手当たり次第に短い作品を4篇読んだ。
「妖精の島」
孤独な語り手が風景に魅入られていくうちに妖精を見る。その妖精は短い生涯の一年を語り手の前で過ごし、一つ死に近づいた。それまでの美しい情景が不安と暗黒へと一転していく描写が素晴らしい。
「週に三度の日曜日」
従兄弟のケイトと結婚するためには、頑固な伯父の承認を得なければならなかった。伯父は自由にしたまえと寛大に言うが、結婚式はいつが都合がいいかと尋ねると、意地悪な伯父は「一度に三度日曜日が来る週がいい」と言う。
ポーの小説の中にはユーモアに満ちた作品もある。本作はそうした一作で、一種のトンチ話と言うか、最後は伯父の目の前で三度の日曜日が一度に訪れることになる。ここには謎解き、あるいは暗号解読のテーマも見られる。ハッピーエンドなのも爽快だ。
「楕円形の肖像」
負傷した「私」は従者に連れられて、ある城の小塔で夜を過ごすことになった。そこに一枚の女性の肖像画が掛かっていた。その肖像の女性に魅せられた私は、その肖像の由来を読み、この画の秘められた物語を知る。
ポーの作品に繰り返し登場する「死に瀕していく女性」モチーフが見られる。また、女性の死と引き換えに肖像画の女性に生が吹き込まれるというのは、「ドリアン・グレイの肖像」を思わせ、ドッペルゲンガ―の主題に通じる。
「エレオノーラ」
「私」の人生は二つの時期に分けられる。最初の時期は従姉妹のエレオノーラとの愛の日々の時期。第2の時期はエレオノーラの死後、彼女との約束と誓いを破ってからの時期。
作家には繰り返し用いられる主題というものがあって、ポーには「従姉妹を愛する男性」と「その従姉妹が死んでしまう」という主題がある。これは現実にポーが若い時期に経験したことであるらしい。深い傷跡を残すような人生上の出来事は、その後のその人のテーマになっていくということの証拠であるように僕には思われる。
そして、このような深い悲しみに満ちた物語でありながら、それがとても美しく、純真な感情で彩られているのは感動的だ。この話の語り手である「私」は、確かに過去において他者との関係で幸福を経験しているのだ。その経験を失った時から、彼には本当の生が始まったと僕は感じる。一心同体とも言うべき同胞と死別してはじめて、彼は「個」となった。それがどれほど苦しい体験であったかを見事な文章で綴られていて、とてもいいと感じた。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)