12月21日:人間関係リセット症候群?

12月21日(火):人間関係リセット症候群?

 

 今日は定休日だ。そして、終日フリーなのは今日が最後かも。当分、予定が入っているので、なかなか自由ではなくなりそうだ。

 

 足の具合は徐々にではあれ良くなっている。今日は痛みはさほどでもない。膝の可動域も大きくなっている。力が入らないという点が相変わらずである。

 今後のために鎮痛剤を買っておくことにする。今日の外出はそれだけである。薬局に行って、さらに近所をぐるりと一周して帰宅。意外と歩ける。もうあと数日で治りそうな予感がしている。

 

 朝のテレビで見たのだけれど、若者の間で「人間関係リセット症候群」なる現象が起きているらしい。何のことかいなと思って見たら、何てことはない、要らない関係は切るってだけのことじゃないか。

 人間関係をリセットするとは、その人との関係を新たに形成し直すことなのだと思っていた。ぎくしゃくしている関係をリセットして良好な関係をその人と新たに作っていくことだと思っていたのだけれど、どうやら違うらしい。

 人間関係は自然と疎遠になることもある。自然消滅みたいになることもけっこうある。長く続く付き合いもあるけれど、多くはその時期だけの関係で終わることもある。学生時代の友人とか、前の職場で一緒だった人とか、その一時期だけの関係で終わることも多いわけだ。これはリセットするということにはならないようだ。

 リセットされる、というか、関係を切るのは、もっと曖昧な人たちであるようである。SNSで知り合った不特定多数の人というのは、果たして本当に人間関係と言えるのだろうかと僕は疑念を抱くのだけれど、そういう人を切るということのようだ。

 なんにしろ、あまり意味がなさそうである。要するに、フォルダを整理するのと同じ感覚でアドレスや連絡先を削除するってことで、そうしても構わないような希薄な関係の相手を切るってだけだ。キャバ嬢の名刺を処分するのと変わらないことだ。なんで「人間関係リセット症候群」などという特殊な名称で呼ばなければならないのか、僕には意味不明だ。

 それでようわからんのは、この症候群はリセットすることが問題なのか、アドレスを満杯にしてしまうことが問題なのか、どちらなのだろう。結局、連絡先なんかを交換してアドレスがいっぱいになり、それを消去してくことがリセットの意味なのだとして、繰り返しリセットするということは、繰り返しそこが人で埋め尽くされていることになるわけだ。まるで過食と嘔吐のようだ。

 

 さて、今日は先述の外出の他は家で過ごした。テレビもなにも面白くない。三回目ワクチン接種を巡っての岸田政権の方針なんかも報道されていたが、アベ・カスの後だけにまともに見えるのが不思議だ。本当は普通のことをやっているだけなのかもしれないのに。

 18歳未満に10万円給付するという案も、現金一括を認めるという形をとった。そこが称賛されていたりする。以前の政権なら最初に決めたことをごり押ししていただろうけれど、妥協案を取り入れたなどと。なんてことはない、以前の政権が異常だっただけじゃないか。

 

 世の中がつまらなくなったな。

 今日、外出時に某カフェの割引券を貰っていたので、そこでコーヒーでも飲もうかと思った。使用期限が今月いっぱいなので今日使おうかなと思っていた。でも、タバコが喫えない感じだったので却下だ。

 灰皿の置いてあるコンビニもだんだん数が減っていく。近所のコンビニで一軒だけある。今日もそこでタバコを喫って一服した。若くて、ちょっと可愛らしい感じのお姉さんが僕の方にやってきた時にはドキンとしたんだけれど、その女性もここで一服だった。こういう人でもタバコを喫うんだなと思い、なんとなく嬉しくも思った。

 政府の健康増進法で本当に健康者が増えたのか疑問である。薄っぺらい法案のようにも思う。そもそもタバコに関しては東京五輪のためだったはずだ。海外からたくさんの人が訪れるので街中でタバコを喫わないようにしようということにしたのではなかったか。五輪も散々な形で終わったのだから、タバコも元に戻してほしいものだ。

 まあ、私権制限もいいとこだという気もしている。

 

 あまりアクティブな一日ではなかったかもしれないけれど、悪くはない。足の方が快方に向かっているので大人しくしていて正解だったとも思う。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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