12月21日:マヤ文明の予言? 

12月21日(金)マヤ文明の予言? 

 

 今日はマヤ文明の予言で、世界が滅びるという日らしい。今の所、何も起きていない。別に世界が滅んで欲しいとは思わないが、何か起こるのではないかと秘かに期待している自分を発見して、僕もけっこう残酷な感情があるなと気づいたりするのだ。 

 こういう滅亡の予言というものは、昔からあった。僕が子供の頃はノストラダムスの予言が流行っていた。けっこうああいうものに感化された自分がいるなと思う時がある。 

 数日前、ユーチューブでいろいろ見ていて、このマヤ文明ネタをいくつか見た。見ているうちに信用してしまいそうになる自分を発見する。 

 しかし、こういう滅亡の予言というものは、我々の抱える不安に形を与える対象としては有益かもしれない。漠然と死滅の不安を抱えるよりかは、1999年とか、2012年12月21日とか、明確化されている方が生きやすくなるかもしれない。 

 もともと生命あるものは死ぬ運命にある。僕もまたいつか死を迎える人間だ。自分がいつか死ぬということを、僕たちは知っているのだ。この事実に始終向き合うことはとても苦しい。でも、この事実は僕たちの漠然とした不安の基底に常にあるものだ。その死滅の日時が予言されているということは、却ってありがたいことかもしれない。 

 ただし、この予言というものは案外あてにならないもので、予言をどう解釈するかによって予言の中身が変わってくるのだ。それが滅亡の予言だというのは、僕たちの抱える不安をそこに投影した上で解釈しているからだと思う。 

 そして、それよりも重要なことは、全員がこの予言を信じてしまうことだ。不安の自己成就という現象があって、僕たちは自らその予言を成就させてしまうような行動をとってしまう可能性が生じるのだ。 

 死滅の不安、自分の死に対する不安というのは、人間なら誰もが有しているものだと僕は思う。そういう不安に形を与えてもらえることはありがたいことかもしれないが、その不安を抱えながらも幸せに生きるということも同じように大切なことだと思う。 

 まあ、しかし、まだ21日が終わったわけではない。これから何か起きるかもと少しワクワクしている。外れたら外れたで良い。また新たな同種の予言が取り沙汰されるだろうから。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

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