12月20日(日):コロナ・ジェノサイド~会食と格差
菅首相の会食問題なんかどうでもよいわ。会食そのものは禁止されているわけではないので、それはいいとしよう。マスク着用、ソーシャルディスタンス、アルコール消毒、換気その他の感染対策を実施してのことらしい。問題は人数である。8人というのが多いのだ。半分の人数で二回に分けたらよかったのに。
まあ、一部の国民はこのことに不満を覚える。自分たちはガマンしているのにという思いがあるようだ。そんなことはない。一般の人も会食はしていいのだ。いくつかの制限ないしルールがあるだけで、禁止されてることではないのだ。
しかし、結局、国民の不満はそんなところにはないんだろう。僕が思うに、国民の不満はこの件において感じ取られいる格差である。つまり、俺たちにはそんな余裕がないのだということで不満を感じている人も多いのではないかと思う次第である。
コロナによる失業者がすでに8万人を超えていると聞いたことがある。これは完全失業者の数だ。その予備軍を含めると膨大な数に上がるだろうと思う。半数近くの企業でこの冬はボーナスが出ないか大幅なカットになったとも聞く。例年通りのボーナスを出した企業でも、その中にはかなり無理して支給した企業もかなりあるそうだ。この現状と彼ら議員たちの行動との格差である。
忘年会や会食に関しても、それを避けているだけでなく、それをしたくてもその余裕がないという人たちも多いのではないかと思う。首相の会食は、人数以外のところではルールーを守ったと弁明したところで関係がないのだ。その行為で国民の何が刺激されたのかを考えようとする人があの中には誰もいないのだ。
僕も余裕のない国民の一人だ。ハッキリ言って、生活はしんどい。買い物に行きたくても敬遠してしまうし、毎日恐る恐る電車にも乗る。会いたいと思う友達とも今は距離を置いている。何かと不自由である。経済的にも例年より厳しい。その中でかろうじて毎日持ち堪えている感じである。
そして、これは僕だけではないと信じている。多くの国民が同じような苦しみを経験しているものだと思う。当然、僕よりも苦しい思いをしている人たちもいる。苦しみの程度を測定することはできないけれど、多かれ少なかれ、苦しい思いをしているものだと僕は思うのだ。
国民は苦しい思いをして毎日を生きている。僕もその一人だ。だから我々はみな国民であり、みな日本人である。非国民は彼らだ。議員とかそういった人たちである。医療現場、保健所の人たちはそれこそ不休で働かなくてはならない。そいう人たちばかりがクローズアップされているけれど、そのような人たちは他の業種にもたくさんおられるのだ。生き残りをかけて奔走している人たちも多いのだ。ほとんど大部分の労働者がそうではないかと僕は予測している。ノンビリしているのは議員だけのように思えてくる。
そんなことを言うのは議員に失礼だろうと言われそうだ。そういう批判は甘んじて受け入れようとも思う。しかしながら、議員たちの対策があまりにもズサンであることは多くの人が感じているように思う。
医療関係者たちがテレビの報道を通じて訴えかける。会見を開催したりすることもある。医師たちは何を訴えているのかである。また、他の分野の専門家であるとか、知識人なんかもテレビを通じて訴えかけている。あるいはユーチューブなんかを通して訴えかける人たちもある。なぜ訴えざるを得なくなっているのかだ。僕もまたその一人である。
声を上げなければならなくさせているものが何なのか、議員さんたちには考えてみてほしいものである。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)