12月19日(月):女性友達に捧げる(13)
これまで何回か言及してきたことだけど、僕は彼女と交際していて、自分がとても悪いことをしているような気持ちに襲われることが度々あった。あたかも僕が加害者になってしまっているような感覚を覚えるのである。これを僕の加害者意識と呼ぶことにしよう。
僕は彼女に対して未練はないのである。心残りなのは、彼女にきちんと謝っておきたかったということである。しかし、謝っておきたいというその気持ちこそ、僕の加害者意識の表れでもある。謝りたいのは、僕が僕の加害者意識から逃れたいためなのである。
そもそも人間関係には喧嘩別れは付き物である。別れる時は、一方もしくは双方が、敵対して別れるものである。和解して別れるなどということは幻想であり、甘えである。僕はそう捉えている。
夏ごろから、僕はどこかで限界を感じていた。最後のデートの時、彼女の運転する車で駅へ向かっている時に、僕はこれが最後かもしれないという一抹の不安を感じたのを覚えている。彼女もそれを感じていたかもしれない。その最後のデートから以降、僕はもう一度だけ誘ってみた。その時、彼女はまた電話すると約束したが、その電話はかかって来ないままだった。僕はそれを彼女の一つの意思表示だと受け取った。
人間関係では、一方がある役割を取ると、他方はそれに相対する役割を取らされてしまうという側面がある。相対する役割というのは、例えば被害者と加害者、保護者と被保護者、客と店員、生徒と教師、子供と親というような関係である。僕が加害者意識を高めてしまうのは、知らず知らずの内に、彼女が被害者役割を採ってしまうからであり、僕がそれに反応し、対応してしまうからだろうと思う。彼女は自分がどれだけ酷い目に遭ったかとか、今どれだけたいへんかということを話す。そういう形で被害者のような立場に立て籠もる。それに関わる僕は、自分が加害者のような感覚に襲われる。僕は自分の要求を彼女に伝えることさえ憚られるようになってくる。僕自身が自由に振舞うことができなくなり、いわば、彼女に束縛されるような不自由さを体験する。僕はこうして自分にも彼女にも不正直になっていく。お互いの距離がそうして広まって行ったように思う。
日記を読み直すと、この距離感について僕が言及するようになったのは、5月だった。それに先立つ2月頃の分を読み直すと、彼女のことを可哀そうに思う気持ちが随所で記されている。彼女のことを可哀そうに思っているということが、彼女がある種の立場や役割に同一視して、僕がそれに反応していたことの証である。7月頃の日付分では、「彼女を追いかけない方が楽だ」とか「会わなくても苦しくなかった」とかいうような文章が散見し始める。もしかすると、7月頃の方が、より現実的に関係を見ることができていたのかもしれない。しかし、彼女がいなくて楽だと思うことは、それはそれで僕の加害者意識を高めてしまうのだ。だから苦しいことに変わりはない。
ある部分では、確かに彼女に対して悪いことをしたと僕は認めている。12月に入って、謝ろうと思い、彼女の働く店に行ってみたが、彼女を直視することができない自分を僕は発見した。見ることさえ、危害を加えることになりそうだと感じたのだ。僕は、ただ、彼女に分かって欲しいという思いだけがあるのだけど、この分かって欲しいという僕の気持ちでさえ、彼女に対する危害であるように体験されているのだ。
僕は自分がとても悪人のように思われてくる。この感情を解消するには、悪に同一視するか、一切手を引くかのどちらかだと僕は考えている。以前の男たちは悪に同一視する方を選んだのだと思う。でも、僕はそちらを選択しない。これがせめてもの彼女への愛情である。加害者意識を抱いて、現実に加害者になってしまうよりかは、加害者意識を抱いたまま、彼女との関係を断絶する方を選んだのだ。このような結果に終わることを、僕は望んでなどいなかったのだ。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)