12月19日(木):ミステリバカにクスリなし~『殺しのグルメ』(3)
ロバート・ブロックの『殺しのグルメ』より11話から最終話までを記していこう。
11「温かい別れ」(The Warm Farewel)
荷造りをしているエンディコット夫妻。彼らが車を連ねてやってきたのを発見したのは娘のレナだった。白装束姿の男が30人ほど来た。彼らはホワイト・ホープス団である。首領と3人がエンディコット氏に尋ねる、スコッティはどこだ、と。白人主義の彼らにとって、スコッティのような黒人は許せないのだ。彼らはエンディコット氏の記事から、彼がスコッティを匿っていると睨んだのだ。エンディコット氏はスコッティは町を出ていったと答える。エンディコット夫人も同じように答える。首領はその言葉を信じない。そして、首領はレナに矛先を向けたのだが。
KKK団のような白人優位主義の秘密結社による黒人排斥運動を一方では描き、他方では娘レナの機転の効いた反撃が描かれる。秘密結社の恐怖よりも、淡々と人殺しに加担する10代の娘の方に恐ろしさを覚える。
12「趣味をもつ男」(Man With a Hobby)
ボウリング大会のため、ボウリングバッグをぶら下げたボウラーたちで賑わっている。この中で飲むのがウンザリだった俺はとあるバーに腰を落ち着けたが、そこにボウリングバッグを手にした、禿げた男が隣に座り、野球やフットボールなどの趣味に悪態をつく。男につかまった俺は趣味の一つくらいいいじゃないかと諭すが、男は20年前にこの地域で起きた連続バラバラ殺人も犯人にとっては趣味なんだろうと悪づく。やがて、表の方でパトカーのサイレン音がバーの方に近づいてくる。その音を聞くや、男は血相を変えて飛び出していく。バーに入ってきた警官は「ボウリングバッグを下げた禿げた男を探している」という。近くのホテルで女がバラバラにされて殺されたというのだ。目撃者の証言からその禿げ男が犯人と目されていたのだ。
「ホテルを出たのは十時頃だったろう」という最初の一文目からトリックが利いている。てっきりそのホテルの宿泊客なのだと思い込んでしまう。途中からオチが読めるのだけれど、それが分かっても面白く読める。小っぽけな犯罪をやらかす奴の方が饒舌だったというのも、なんとなくリアル感があって、印象に残る。
13「生き方の問題」(A Matter of Life)
そのセールスマンは最初にアンダースン夫人を訪れた。何でもきれいに消すクリーナー、無味無臭で人をも消せるほどのクリーナーの売り込みのためである。続いて彼はベイカー夫人を訪れ、同じようにクリーナーの販売に成功する。さらに、その後、セールスマンはコナーズ夫人を訪問して、クリーナーの売り込みをする。
小品ながら、秀逸なアイデアで印象に残る。ネタバレ覚悟で言えば、妻には毒薬を売りつけ、夫には解毒薬を売りつけるということである。このセールスマンの名乗る名前も、スイフト、クイック、ファストと、即効性を暗示する名前なのも面白い。名前の使い分けもこのセールスマンのセールス手法なのだろうと思ってしまう。
14「流れ者」(Hobo)
貨物列車に忍び込んでは町から町へと流れて仕事を探すホーボーのハニガンは、この夜も有り金全部飲み干して、この町とおさらばするところだった。貨車に乗り込んだ彼は、そこに先客のホーボーがいるのを知る。やたらと無口な男だ。ハニガンは一方的に喋る。それも一週間に4人もホーボーを殺したナイフ野郎のことを。電車が揺れた時、ハニガンはその男がすでに死んでいるのを知る。それと同時に、この貨車にはさらにもう一人の人間が潜んでいたことを察したのだが。
お馴染みのパターンとして、ハニガンが話題にしているナイフ野郎とどこかで遭遇するのだろうなということは察しがつく。お決りのパターンでは無口のその男が当のナイフ野郎だったというものになるが、そうではなく、その男は5人目の被害者だったというところで読者は裏をかかれてしまう。また、ナイフ野郎がどうしてホーボーのような貧乏人ばかりを襲うのか、その理由が一切示されないところにも一抹の恐怖感が残る。
15「生きているブレスレット」(The Living Bracelet)
場所はインド。二人の男が対峙している。妻サラを寝取られたフェナーとサラを寝取ったヴィカリである。フェナーの持つ銃はヴィカリを狙っている。だが、こういうやり方は好みではないということで、フェナーはカバンからブレスレットのようなものを取り出した。ブレスレットは生きていて、動き始めた。その正体は猛毒を持つ毒蛇だった。蛇はフェナーの足に噛みつくが。
ショートショートだが、けっこう印象深いオチが用意されている。悲惨なのはフェナーの方である、妻を寝取られ、ヴィカリへの復讐は失敗し、おまけに命を落とすことになってしまうのだから。フェナーの失敗要因は、復讐を実行する前に、復讐する相手のことをよく知るべきであった点にある。そこを疎かにしたのだろう、フェナーは失敗してしまったのだ。そんなことを考えていると、本作は人に復讐する時の教訓を教えてくれる寓話のような感じさえ受ける。
16「道を閉ざす者」(The Closer of the Way)
記憶を失いサナトリウムに入院している作家。精神分析医は彼の記憶を取り戻すために、彼の著書を読み、作者に問い詰め、作品に一貫しているテーマを暴こうとする。精神分析医がそれをすればするほど、作家の心に憎悪が生まれる。そして、作家の記憶が回復したとき、新たな殺人が行われてしまう。
本作はブロック自身のセルフ・パロディのような作品だ。ブロックの実際の作品、『サイコ』をはじめ種々の短編が取り上げられ、分析されていくくだりが面白い。そこにはブロックの創作の秘密も垣間見えるようだ。ブロックのファンにはたまらない一作だと思う。
以上、16篇を読んだ。著者の自選だけあって、どれも面白く読める。読者にショックを与えようとあの手この手を尽くし、面白くするためのサービスが満載である。おそらく著者にとっても愛着のある作品たちなのだろう。
<テキスト>
『殺しのグルメ』(Out of the Mouths of Graves)ロバート・ブロック著(1978年)
仁賀克維 訳
徳間文庫
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)