12月17日(金):常に痛みを
昨夜、膝を痛めて、今日も一日痛かった。
夜は全然寝られなかった。ウトウトしても、例えば寝返りをうったり、足を動かしてしまうと、激痛で目が覚める。夜中に何度痛みで目を覚ましたか。尚悪いことに、トイレにも行きたくなる。どうやって立ち上がるかで頭を悩ませる。試行錯誤して、もっとも痛みの少ない立ち方を突き止めるが、これには手を突く場所が必要である。それもあって今日は杖を持ち歩いている。
特に今日は仕事は入っていない。というのも、今日は本当は臨時休業しようと計画していたのだ。少し家の方のこと、僕の身辺整理のこともやりたかったからである。今日の金曜日は非常に都合がいいのであるが、足がこんな調子なので、予定を変更したわけだ。だから、今日は本当は高槻に来ていないはずであった。
職場にて、ずっと座っていると痛くなるので、適当なところで立って直立して過ごす。するとまた痛くなるので座る。こうして座るのと直立するのを繰り返していた。一つの姿勢であまり長時間いないことが肝要だ。時に、横になることもあった。座るのにも立つことにも疲れたら、横になって過ごす。
その間、何をしていたかというと、ひたすら読んで、勉強して、書き物をしてだった。朝から晩まで、それの繰り返しだ。
でも、足の方は昨夜よりかは幾分ましになっている。多少は膝が曲がるようになっている。ただし、急には曲げられない。ゆっくり、ジワジワと曲げていくと、曲げられないことはない。その時に痛みが走る時もあれば、さほどでもない時もある。一体、何がどう違うのか自分でもよく分からない。
どちらかというと、曲げる時よりも伸ばす時の方が辛い。立ち上がる時は、初めは膝が真っ直ぐに伸ばせられないし、力が入らない。立ち上がって、動き始めるまでの間、そこでしばらく時間を要する。それでも昨夜よりマシである感じがしている。
このまま速やかに回復してほしいと願っている。
どんな体になろうと、どんな境遇になろうと、生きてみせる。今はそんな気持ちだ。自虐的なんだろう。苦しい時や痛い時の方が活力に漲る。生きる意志が高まるのだ。こういう人間は幸福とか安泰とかには無縁だ。だからそういうものは求めない方がよさそうである。
もちろん、今言ったことは人によって異なる。平穏な状態の時の方が生きる意志が高まるという人もあるだろう。多分、その方が一般的であるかもしれない。僕はどうもそうではなさそうである、ということだ。
常に痛みはあるものと心得て、痛みを取り去ってしまいたくもないのである。自分だけでなく、他の人でもいいから、とにかく人の不幸を常に見ていたい。そして、その不幸に挑み続けたい。人間にとって本当に幸福とは何かということもそこから見えてくるのではないかと期待している。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)