12月16日:母校に足を踏み入れる 

12月16日(日)母校に足を踏み入れる 

 

 選挙に行く。選挙当日に投票するのは久しぶりだ。大抵は仕事と重なるので期日前投票をしている。今回、この選挙のために朝一番の時間を空けておいたのだ。何となく、当日に投票したいという思いがあったからだ。 

 期日前であろうと、当日であろうと、投票に変わりはないのであるが、その投票場所が異なる。期日前では区役所で行う。当日では中学校、僕の通っていた中学校の体育館で行われる。その違いが大きい。僕は何となく、僕が通っていた中学校にもう一度足を踏み入れたくなっていたのだ。 

 こういう機会でないと母校に入れない。もっとも、母校に足を踏み入れたとして、何をするというわけでもないし、何を見たいとも思っていない。ただ、行ってみたいという感情があっただけだ。 

 今朝、それで中学校に行ってきた。校門を通る時、何かしら不思議な感じを体験した。ここに三年間通っていたんだなあという思いと、本当にここに三年も通っていたのだろうかって信じられないような思いと両方あって、複雑だった。 

 見ると、校舎は新しくなっているし、門もきれいになっている。掲示板はそのまま残っているようだ。体育館も昔のままという感じがする。何よりも嬉しかったのが、クラブの部室である。ここはあまり変わっていない。恐らく、あまり重要視されていないのだろう。昔、僕たち陸上部が使っていた部室もそのまま残っている。内部は多少は変わったかもしれないけれど、相変わらずの場所にあった。 

 限られた部分だけど、学校内をウロウロする。グラウンドを見ては、ここにコースを作って毎日走っていたんだなあとか、グラウンドから校舎までの通路をよく走って教室に向かったものだとか、いろんなことを回想する。 

 そんなことをしていて、一体、僕は何を求めているのだろうと、ふと不思議に思う。失ったものを取り戻したいのか、失ったということを再確認したいのか、自分でもよく分からない。確かに僕はここで中学時代を生きた。その痕跡が自分の中にあるし、それを示す証拠が目の前にある。何を確かめたいと思っているのだろう。過去の時代に耽るほど、僕はロマンチストでもないだろう。何か自分の中で、自分の歴史の何かを認めておきたかったのだろう。 

 考えてみると、昔の出来事をそのまま回想するということもなくなった。職業柄、過去の体験をどこかで分析してしまう自分がいるということにも気づいた。そのまま思い出すということが本当になくなってきたなと思うし、それがはたして人間的な体験なのかと、今は疑問にさえ感じる。ここでこんなことをしたなあ、あんなこともあったなあ、それだけでいいかもしれない。それにどんな意味があるだろうとか、何を学んだとか、殊更そんなことばかりをしなくてもいいのかもしれないな。もっと、自由に感じたり考えたりできれば楽しいだろうなと思う。 

 いろんな思いを感じながら、僕は校門を後にする。そして、どこか満ち足りていて、何の未練もそこにはない。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

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