12月14日(金):夜勤明け
夜勤明けにこれを書いている。昨夜はとても疲れた。仕事をする気になれないのだ。気分が重い。何とか最低限の仕事と、それなりに任された作業はこなした。でも、それ以上にする気持ちにはまったくなれなかった。働いていて面白く感じないのだな。
僕の覚えている限りでは、この時期は客が減るはずなのだ。クリスマス頃に客足が回復し、そこからまたヒマになる、年末年始で再度客数が増えるというパターンだったように思う。おまけに不景気も手伝って、僕の記憶にある以上に静まり返っている。
コンビニは取り扱っているサービスが多すぎて、僕には何が何だか分からない。とても覚えきれない。宅急便の店頭預かり品とアマゾンなんかの店頭受け取り品とでは処理が違うし、それに「運boon」とはやり方がまた違うという、僕にはさっぱり分からん。おまけにクレジット払いとなるとさらにややこしい。代行収納はクレジット払いが不可である。チケット等はクレジット払いが可のものと不可のものとがある。すべて一律にしてくれればいいのに、クレジットカードの種類によって、可能なものと不可のものとがそれぞれ異なるのだ。店員がしくじると客は立腹されるのだけれど、僕は今では店員の方に味方をするね。本当に訳が分からなくなる。僕から見てベテランの人でも、先日、ポイントカードと割引券の処理の順番を間違えていた。その人も混乱してしまったのだろうと思うし、それも無理はないって思ってしまう。
本当に世の中は便利になっているのだろうか。これだけいろんなサービスに囲まれた暮らしをしているわけだから、当然、もっと便利さを体験してもよさそうなものだ。でも、実感として、それほど便利になったように思えないのは僕だけだろうか。
僕は携帯電話を持たない。もう、あんなものは持たないでおこうと誓ったのだ。携帯電話のない生活を送っていても、何も不自由しない。家を出る時、あるいはお店なんかから出る時に、携帯を持っただろうかとか、忘れてしまったとか、そういう気苦労からは全面的に解放されている。友人、知人のメール、それも大した用件でもないメールを読んで返答する煩わしさもない。持っていた方が案外不便だったかもしれない。
今朝も高槻で人が衝突する瞬間を目撃した。通りですれ違うことができず、正面衝突してしまった人たちを見たのだ。お互いに携帯電話を、と言うかスマフォを見ていたのだ。歩きながら何やら読んでいて、前を見ていなかったのだ。それでぶつかって、大切なスマフォを地面に落としていた。危ないし、破損とか損失を生み出すかもしれないし、あの光景を見て、ああ、やっぱり持たなくて正解だったと僕は再認識したね。
一体、スマフォで何を読んでいるのだろう。僕は時々不思議に思う。そこに何か良い物でもあるのだろうか。自分の内に良い物を見出さないから、外側に良い物があると信じてしまうのじゃないだろうか。
何も持たずとも、自分であることに満足できれば、きっと欲も執着もなくなるのだろうな。そうは思うのだけれど、僕もまだまだそこに至ることのできていない人間だ。だからあまり偉そうなことも言えないな。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)