12月13日:ミステリバカにクスリなし~『臨海亭綺譚』

12月13日(金):ミステリバカにクスリなし~『臨海亭綺譚』 

 

 20代のころは古書店で古いミステリ小説を買うのが趣味だった。そういう古い本は所有しているというのがいいのだけれど、読むと面白かったりする。本書もそうした一冊だった。香山滋『臨海亭綺譚』だ。 

 当時、本書を僕はたいへん面白く読んだ。面白かったというのは覚えているけれど、内容がどんなだったかはきれいに忘れている。でも、ずっと、僕の中ではいつかもう一度読みたい本の一冊となっていた。 

 先日、書架で見つけて、本書を思い出した。もう一度読みたい本だったことを思い出し、心残りを生まないために、今回、読み直した。やっぱり面白かった。 

 

 物語は主人公の逃避行から始まる。彼は誰かを殺したらしい。そして目つきの鋭い刑事に追われている。繁華街を抜け、立入禁止の道へと入っていく。そこは沼沢地帯で、やがては海に通じているようだ。もう逃げ道がないと観念し始めたとき、彼はそこに一軒の家を発見する。 

 「臨海亭」と呼ばれるその家では、主人のハゲアブ老人をはじめ、日の下を歩けないような面々が暮らしていた。主人公もその一人となった。 

 

 まずは、そこの住人を述べよう。 

 ハゲアブ老人は強欲の塊のような90歳の老人である。頭にダイヤモンドが3個埋め込んであるらしく、それが財産という人間だ。住人から高い家賃をむしり取るような男である。最後はチュウに殺されて泥の中に沈められる。 

 他の住人は、まず、磯貝チュウと浜子の母娘がいる。この二人が二階を占領している。母親のチュウは病気で寝たきり状態であるが、いつかハゲアブを殺して、その財産を奪おうと執着している。ハゲアブ老人を幽霊と誤って殺し、泥沼に沈めるのだが、老人の財産を追って、ハゲアブを沈めた泥沼に自ら飛び込んでいく。 

 娘の浜子は売春で稼いでいる。一時期は主人公の情婦のような存在になる。浜子もまたハゲアブを恨んでおり、主人公にハゲアブ殺しを依頼する。最後はミミに殺されてしまう。母親のチュウとは仲が悪い。 

 中国人の馬皮(マーピー)は密輸・密売の斡旋人である。ハゲアブ老人とは賭博仲間といっていいか、老人から金を巻き上げていく。臨海亭に運ばれてくる死体を遺棄する仕事もしており、ハゲアブに手伝わせたりする。 

 最後に薄幸な少女ミミだ。彼女は臨海亭の3階に住んでいる。かつてマーピーらが処理した女の死体から生まれてきた子だった。以後、大鼠に育てられる。物語の後半から登場して、何度も主人公を助ける。ミミもまたハゲアブを恨んでいる。最後は病気を自覚し、主人公と別れ、育ての親である大鼠の巣穴に引き下がる。 

 なんともまあ悲惨な連中ばかりであり、一癖も二癖もあるような面々である。日の目を見ることもできず、社会から隔絶したボロ家で、希望もなく生きているような面々である。でも、欲だけは人一倍強いのか、彼らは強欲でさえある。なんとも醜い面々である。 

 彼らは、その日その日の儲けしか頭にないかのような人間であり、こうした生き方を変えようともせず、その状態にとどまり続けている。彼らの言動を読んでいると、なんともやりきれない思いがする。でも、そこに本書の面白さがあると僕は思っている。 

 

 さて、主人公が犯した殺人とはどういうものであるのか。 

 彼は優秀なセールスマンだった。妻に指輪を買ってやろうと宝石店に立ち寄ったのが運の尽きであった。そこは悪徳商法を専門にしている店であり、彼は高利貸しの餌食になってしまったのだ。暴利に追われ、妻も失い、仕事もできなくなっていき、身なりまでみすぼらしくなっていく。そして、ついに、彼は高利貸しの古田五郎をナイフで刺殺する。 

 冒頭から彼が人を殺して追われていることが読者には知らされているのだけれど、それがどんな事件であったか、どんないきさつでそうなったのかということは第7章で初めて明かされる。 

 それまでは臨海亭で暮らす不思議な人たちの描写や、そこでの奇妙な暮らしぶりなどが描かれているわけだが、この辺りの描写は梅崎春生の「ボロ家の春秋」を彷彿させる。 

 事件が語られる7章以降、物語は徐々にこの事件の真相に迫っていくことになる。主人公も、それまでは刑事から身を隠し、追われる身であったが、果敢にも真相究明に敵の巣窟に乗り込んでいったりする。主人公がこうして活躍し始めると、物語が躍動して、さらに面白くなっていく。そこから悲劇的な結末まで一気に読ませる。 

 あいにく、ミステリの暗黙のルールとしてトリックは明かしてはならないというものがあり、これ以上詳細に書くわけにはいかない。本作は謎解きというよりも、プロットがよく練られている作品であると思う。事実は主人公が思い浮かべていたのとはまるで違っており、それが徐々に解明されていくところが面白い。 

 この謎解き要素に加えて、主人公をはじめ、臨海亭の人々の運命がどうなっていくのか、というところにも興味が掻き立てられる。不思議なもので、この堕落した人たちの行く末に興味が湧いてくるのである(僕だけかもしれないけど)。 

 

 本書は昭和35年の刊行となっている。書き下ろし推理小説として世に出た作品だ。乱歩や正史が描いたような戦前戦後の状況ではなくなっている時代なんだけれど、どうにかその時代の雰囲気を出そうとしているようにも思う。 

 舞台が沼沢地帯というのも象徴的だ。日本は高度経済成長の最中だったろう。多くの臨海が埋め立てされたことだろう。臨海亭のあるこの辺りも、最初は埋め立てて土地にして何かに活用しようという意図があったのだろうけれど、どうもそれはウヤムヤになっているようだ。つまり、目的があり、期待があって開発したものの、それは無用のものになってしまったという土地である。これは臨海亭ならびにそこの住人を象徴しているかのようである。世間から忘れられ、無用の長物となり、闇に葬られていく存在でしかない。 

 臨海亭もそうだ。かつては港湾労働者で賑わった所であったが、労働者はいなくなり、時代からも取り残され、荒んでいくだけの運命となった館である。 

 ある意味では、主人公もその他の登場人物も、さらには臨海亭やその土地も、すべて運命に翻弄されているとも言えそうである。人も場所も、運命に翻弄されつづけた成れの果てといった姿が描かれているように僕には感じられてくる。読後、あまりハッピーな気分にならず、どことなく寂寞感が残るのはそのためであるかもしれない。 

 

 さて、本書はやはり面白い。再読でも面白く読める。登場人物たちの魅力(いい意味での魅力とは言えないかもしれないけれど)が惹きつける。物語性にも富み、推理小説としての体裁も保っている。僕の唯我独断的読書評価は4つ星半だ。 

 

<テキスト> 

『臨海亭綺譚』(香山滋 著)講談社 1960年。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

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