12月11日:女性友達に捧げる(6)

12月11日(日)女性友達に捧げる(6)

 

 僕と付き合う前から、彼女は太り始めていたようである。僕は交際する女性の体型に特にこだわりはない。極端に痩せているとか、極端に太っているとかいうのでなければ、痩せていても太っていても構わない。背が高かろうと低かろうと、スタイルが良かろうとずんぐりむっくりだろうと全く意に介さないのである。年齢や職業も特に問わない主義である。

 さて、その彼女であるが、彼女はなんとかして痩せようと試みていたようだ。当時、僕は彼女が淋しさのために食べてしまうのだろうというようにしか理解していなかった。今では、もっと違った見方をしている。彼女が失った対象との同一視から抜け出ることができれば、その時に初めて、彼女は痩せていくだろうと予測している。詳細は述べないので、何のことやら読んでくれているあなたには理解できないだろうと思うのだけど、彼女の体型と、彼女が失った対象との間に「ある」関係を僕は見ているということである。

 彼女はよく「しんどい」とか「疲れている」などと口癖のように言っていた。疲労ではなく、その疲労感をもたらしているものに目を向ければよかったのだけれど、彼女はそれをするほど自我が成熟していないのだ。それはともかく、僕は彼女と会いたいと思っている。しかし、彼女がとても疲れていると知っては無理に誘うこともできない。今夜は早く寝て、休んでほしいと願うだけである。しかし、その夜遅く、他の人から食事に誘われて、彼女がそれにホイホイついていったということを知っては、僕も黙ってはいられなかった。彼女のために遠慮した人間がいるということが彼女には見えないようだった。目先の誘惑に簡単に追従したようにしか僕には見えなかった。彼女の好物を食べさせてやるとなれば、彼女は誘いに応じるだろうと思う。陰で我慢してくれている人の我慢を反故にしてまで、そうするだろうと僕は思うようになった。これは彼女の食い意地が張っているということではなくて、彼女が口愛段階に生きることと関連していると僕は捉えている。

 彼女の性格形成に関しては置いておくとして、こうして僕はひどい裏切りを体験することも度々あった。もっと正直に言えば、彼女の疲労は僕が原因ではないのである。だから、それは疲労を生みだす生き方をしている彼女の問題であって、それは僕とは関係がないという態度を採ってもよかったのである。でも、僕はそこまではできなかった。だから今日は早く帰ってお休みと伝えるのである。その気持ちは、こうして彼女の無邪気さや自由奔放さのために裏切られるのだった。

 僕が苦しんだのは、この裏切りそのものではない。それによって示される僕に対しての価値下げである。僕との約束は破っても良いというのであれば、これは僕の価値が下げられていることである。彼女は、時折、それをする。彼女の中では、後で償えばそれでいいわと思っていたかもしれない。しかし、罪悪感を覚えたりすることはないのだろうかと、僕は疑問にも思った。もし、それで罪悪感を感じていないということであれば、彼女には罪悪感を覚えるだけの良心が育っていないということの証である。

 僕が頻繁に思ったのは、「それって、そんなに重要なことなの?」というものである。例えば、疲れているなら今日は早く帰ってお休みと僕が彼女に伝える。僕は彼女と会いたい気持ちをそうして我慢する。それでも、その夜、どうしても行かなければならない用事ができたとか、仕事をしなければならなくなったとかいうのであれば、僕は怒ったりはしなかっただろう。不可抗力で休むわけにはいかなかったということであれば、僕はそれは仕方がないと思うし、しんどいのに無理をしたんだなと思うだろう。でも、毎週のように会っているその人から食事に誘われて、それについて行く。どうしてもその日のうちに、その人と商談しなければならない用件があったというようでもないのである。その人の遊び相手として付き合わされたというようにしか、僕には映らないのである。僕にしたのと同じように「今日は疲れているから」と言えばいいし、「また、次回にしてください」と言うこともできたはずだと思うのである。だから、僕は嫉妬からこういうことを言っているのではないのである。僕は僕に対しての誠実さを彼女から見たかったのである。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

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