12月1日:コロナ・ジェノサイド~感染者はもっと多いのでは

12月1日(火):コロナ・ジェノサイド~感染者はもっと多いのでは

 

 今月はこのシリーズも書いていこう。コロナに関しては、その後も動向は気にしていたけれど、それで何かを書こうという気にもなれなかった。書くこと自体が億劫だった時期もあった。

 基本的に以前と何も変わったところはない。ゴートゥーのキャンペーンは僕には正しいものには見えない。トラベルもせめて10月で終了しておくべきだったと思う。7月から10月までのキャンペーンで十分だと思う。また来春から第二弾をやっても構わないことであると思う。

 もっとも、観光業やそれに関係する人たちにとって厳しいことは確かであるし、その人たちのことを見放すようなこともしたくない。少なくとも治療法がある程度確立するまでは旅行も控えた方がよろしいとは思う。それ以後に大々的なキャンペーンをやるのは構わないと思っている。

 

 旅行だけでなく、飲食もたいへんだとのこと。大阪も時短営業を要請されているので22時くらいで閉まるお店も多い。この時短営業にどれだけの効果があるのかは不明である。

 僕もチョイチョイ飲みに行く。僕の個人的印象からすれば、お酒を提供するお店が感染源になりやすいということであるならば、感染者数がもっと増加しているはずである。飲食店の利用人数並びにそこで働く従業員数からすれば、もっと感染者の数が多いはずである。言い換えれば、感染者数全体における飲食の要因は案外少ないのかもしれない。

 確かに呑み屋に行くとかなり危なかしい奴もおる。マスクを外したまま会話するとか、その状態で大声上げて爆笑したりとか、そういうことを平気でするのもおるし、入店時に手の消毒をしない輩もおったりする。そういう連中を見ているので、もっと感染者数があるはずだと思ってしまうわけだ。もっとも無症状者である可能性も高いのだけれど。

 しかしながら、飲食はアウトでトラベルはセーフっていうのは、どういう基準で言っていることなんだろう。

 

 旅行と言えば、この秋は観光地は人でいっぱいだった。京都もそうだった。当然、ゴートゥーを利用している人たちだと思う。

 先ほどと話は同じで、あれだけの数の人間が移動したということであれば、感染者数はもっと多くなっているはずではないかと思ってしまう。確かにそれによる増加は見られているのであるけれど、それ以上の感染者が現れてもおかしくないように思えてくる。

 とは言え、トラベルもそろそろ終了した方が良いような気がしている。

 

 トラベルやイートの関連で言われることの一つに「コロナ馴れ」といったことがある。コロナの状況に慣れてしまうという意味であるようだ。馴れが生じると気が緩むということなのであろう。

 確かに観光地の情景を見るとそういう気がしてくる。しかし、本当に慣れだけでそうなるだろうかとも僕は疑問に思う。政府やマスコミの発信にもはや力がないことの証拠ではないだろうか。彼らの威信が地に落ちていることの表れではないだろうか。

 また、春夏の抑圧的な生活のストレスの反動であるといった意見もあるようだけれど、それも疑問である。確かに自粛生活は窮屈であった。それでも窮屈に耐えたのは何らかの価値や意味がそこに感じられていたからではないだろうか。自粛の反動ではなく、かつてそれが有していた意味が喪失しているのではないだろうか。

 

 ともかく、報道されているものを見る限りでは感染は増加しているようである。これを第三波と呼ぶのが習わしになっているけれど、本当は第二波のままではないかという気もしている。少なくとも夏以降、何も変わっていない。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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