11月9日:AIは夢を見るか 

11月9日:AIは夢を見るか 

 

 朝の情報番組で、あるスピーカーのことを見た。人工知能が埋め込まれたスピーカーであるそうだ。それで何ができるのかと言うと、そのスピーカーと会話ができるということだった。 

 部屋に独りでスピーカーと会話をする、それが未来人の在り方かと思った。僕はゾッとする。 

 カーナビが「運転お疲れ様でした」と言うとか、駅で「こちらは○○方面です」とエスカレーターが言うなどは許せる。つまり、そういうアナウンスはまだ許せるし、目の不自由な人にとっては無くてはならないものだと思う。 

 でも、会話をするというのは、それとはニュアンスが異なる。アナウンスは一方的に情報を伝えてくれるものである。僕とは無関係にそれがなされる。会話をするとは対象と関係を築くということである。 

 

 それは人間と道具の関係性とは異なるものだ。道具は何かを作り上げたりするために使用される。その目的のために僕はその道具を必要とする。必要がなくなれば、道具は元の位置に戻される。その道具に愛着を覚えることはあっても、その時々で道具に自分の感情を投影することはないだろう。 

その道具使用の目的が自分の外側にあり、その目的が達せられると僕と道具との関係は終わる。時々、道具の手入れをすることもあるだろうけど、それはその道具使用の目的のためであり、純粋に道具を愛着しているからではないかもしれない。 

 時に、道具は僕の延長となるだろう。僕の身体の一部のようになるかもしれない。僕の手の代わりになってくれるものであるかもしれない。でも、僕はそれが僕の一部ではないということを知っている。僕と道具との間には明確な境界が引かれている。 

 

 AIと関係を築くとはどういう体験なのだろう。僕はそれを知らない。でも、その対象(AI)は僕にはある種の人格を備えた「誰か」として体験されているかもしれない。 

 それを必要とする動機、それを使用する目的は、僕の外側にあるのではなく、僕の内側にあるものかもしれない。ここは道具とは決定的に異なる。 

 道具は今後とも使用されるように手入れされるが、AIはそういう目的で手入れされることはないだろう。 

 また、道具の場合、僕がこの場面でその道具を必要としているというところから関係が始まるが、AIは僕の中でそれを必要としている僕がその関係を始めるだろうと思う。つまり、AIが人格を持たない存在である限り、一方の僕がその存在に人格性を与え、他方の僕がその人格性を備えた存在と関わることになる。AIと関係を築くとは僕を分裂させることではないだろうか。 

 AIとの関係で僕が分裂せざるを得ないなら、僕はAIを必要とし、AIを利用すると同時に、AIが僕を必要とし、AIが僕を利用するという関係が成り立つかもしれない。 

 それと関係を築くために自分を分裂させるということは、それは今の僕の消滅である。僕はバラバラの存在になる。それを防ぐために、僕はそれと闘争せざるを得なくなる。 

 それはつまり、AIは僕より劣るということを証明せざるを得ないということになる。でも、これは簡単に証明できる。AIは象徴を理解できない。そして、AIは夢を見ることがない。人間はAIよりも優れているのだ。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

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