11月5日:僕はウドちゃんを笑えない 

11月5日(日):僕はウドちゃんを笑えない 

 

 ウド鈴木さんというお笑い芸人さんがいる。彼を見ていると、頭と言葉との速度が合わないという印象を受ける。頭が先に働いて何かを言うのだけど、言葉の方が追いつかず、「あ~」とか「う~」とか言って、その後にポロッと次の言葉が出る。そこでようやく言葉が追いついたんだなというように僕には見える。 

 僕はウドちゃんを笑えない。僕にもそういう時があるからだ。頭が先々まで先回りして、言葉の方が追いつかない時がある。そういう時、言葉が遊離しているように僕には体験されてしまう。 

 何か僕が発言している。その発話が終わらないうちに次の観念が浮かび上がって、それが今の発話に割り込んでくる。一つ言い終えてから次の発言をすればいいのだけど、それでは追いつかない。そうして僕の発言が混乱したものになってしまうのだ。 

 書いているときもそうだ。今、こうして書いている。すでに次のことやその次のことが頭には浮かんでいて、書く方が追いつかない。追いつく頃には、それはすでに失われているか、さらに次のことが頭に生じていたりする。そういう状態で書いたものは、内容が限りなく散漫となり、支離滅裂になる。後で修正するので、かろうじて読むに耐えるだけの体裁を整えているだけである。 

 

 今朝、出勤時、駅前で外国人観光客から道を訊かれた。とっさに言葉が出てこなかった。尋ねられたことは分かるし、その人たちが行こうとしているところも分かる。「そこの信号を左折して直進」とだけ言えればいいのだけど、言葉が出てこなかった。 

「信号って何だったっけ、シグナルでよかったんだっけ」などと考えている一方で、頭の中ではこの後のこと、電車に乗って、職場で準備して、クライアントに備えて、さらに今日の面接であの人にはこの部分に目を向けてもらおうかなどと、次々に考えが進んでしまっている。 

 観光客たちは、最終的には、分かってくれたようだけど、僕の頭はもうすでにそこにはなかった。 

 

 頭とか気持ちだけが先走る。落ち着かないといけない。 

 夜はいきつけの店で飲む。僕の誕生日プレゼントを用意してくれていた。誕生日は今日ではなく、少し過ぎているのだけど、お互いに会うことがなかったので今日になったということである。 

 誕生日か。プレゼントはありがたく頂戴しておいたけど、本当はそういうことをやってほしくない。本音を言えば、今はそういう関係を少なくしたい。 

 昨日のクライアントでも、やたらと僕にものを送ろうとする人がいるので困る。僕は貰わないと言ってあるのだけど、いつか品物を送りつけてくるかもしれないな。 

 この人の場合、僕が素直に受け取れないのは、その品物に妙な意味が感じられてしまうからである。分かりやすくいえば、ワイロのような性質を持ってしまうのだ。その人が他の人たちにモノを送ったというエピソードをいくつも聞いているのだけど、それを見ると、「品物を送るから私のことを重宝してくれ、便宜を図ってくれ」というニュアンスが濃厚なのだ。 

 だから、その人から品物を送るという話をされるたびに、僕はゾッとするのだ。絶対に止めてくれ、同じ穴のムジナにしないでくれと言いたくなるのだ。 

 まあ、どうでもいい。僕は受け取らない。 

 

 今、こうして書いている。書いていることに本当には集中できていない。僕は次に書こうと思っているサイト原稿のことを同時に考えている。頭が過剰なのだ。 

 これまでの経験では、この時期にたくさんのことを書くだろう。でも、その後で沈鬱状態が続くだろう。頭と言葉とが一致するのだけど、全体的に沈鬱になるだろう。僕の人生はこんなことの繰り返しだ。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

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