11月28日:隣の解体工事

11月28日(月)隣の解体工事

 

 うちの隣に立体駐車場が建っているのであるが、今月いっぱいで閉めるらしい。それはそれで構わないというか仕方がないことなのだけど、来月から解体作業が始まるという知らせを受けた。騒音と埃に二か月間も悩まされるのかと思うと憂うつである。

 立体の駐車場なので、大半は機械だと思う。その機会を分解して撤去するだろうから、それほど埃や騒音は問題にならないかもしれない。それらが出るとすれば、せいぜい外壁や支柱を取り壊す時だろう。あと、足場を組み、その足場を最後に撤去する際に音が出るだろうとは思う。いずれにしろ、私の仕事にとってはありがたくないことである。クライアントにも迷惑をかけてしまうのが心苦しいのである。私に原因があるわけではないとしても、本当に困ったものである。

 去年、私の入っている建物の外壁工事、並びに外装工事が行われていたが、あの時も困ったものだったのを覚えている。三階の窓の外を作業員がウロウロするので、本当に不快だった。中には辛抱してくれたクライアントもおられ、その方々には感謝すると同時に申し訳ないような思いをも感じたものである。

 建物には工事が付き物であるし、町には移り変わりがあるものである。これは自然なこととして受け入れなければならないものである。僕が高槻で始めた頃から比べても、随分周囲が変わってきたものだと思う。今でも、あそこにはああいう店があり、この建物にはこんなテナントが入っていたとかいうことをよく覚えている。それらは今はないのである。こうして、うちも古顔になっていくのだろうかとしみじみ思う。

 僕の地元である京都はさらにこの状況が深刻である。僕が若い頃に通っていた呑み屋というものは、すべて全滅である。呑み屋以外の店も同様である。実家の近所に一件だけ、当時から残っているバーがある。そことは20年来の付き合いである。それ以外はすべて跡形もなく、私の記憶の痕跡となっているだけである。

 こうして見ると、長く付き合える店というのが、最近はなくなってきたなと思う。高槻で非常に古くからある呑み屋がある。そこに呑みに入った時、20年、30年と通っておられる常連さんたちを見て、僕は「いいなあ」と思ったのを覚えている。店の人間と客とが一緒に年をとっていくのが、とても羨ましいように思えたのである。僕にもそのような店が何軒かあったらなあと思っている。

 店やテナントは常に入れ替わるし、町も変わり、人も流れていくものである。今、目の前にしている光景も、永遠のものではなく、いずれ失われるものだと思うと、今のうちにしっかり見ておこうという気持ちになっている。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

 

 

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