11月28日:メンヘラって? 

11月28日(水):メンヘラって?

 さあ、今日は昨日と打って変わって、少々忙しい一日となりそうだ。午前中と夕方に用事並びに仕事が入っている。昼は若干の時間的余裕もあるけど、いくつか連絡しなければならないところもあり、それに充てることにした。

 昨日、留守電に吹き込んでくれた業者とも連絡が取れた。もっとも、これは向こうから電話してきてくれたのだが。

 昨日読んだ『雨月物語』の感動が薄れてしまう前に唯我独断的読書評に書いて残しておこうと決める。拙い文章ながら、とにかく書いておく。後で校正すればいいので、とにかく忘れてしまう前に書き残しておかなければならない。

 夕方の仕事は、その頃にはいささか疲労してしまっていて、集中できない瞬間もあったが、なんとかこなす。昼休みをきちんと休んでおかなかったことを少しばかり後悔した。

 昨夜、バーの女の子が面白いことを言っていたな。「メンヘラと付き合ったらどうしますか」と僕に尋ねてくる。僕は「メンヘラって何?」と、そこから始めなければならなかった。 メンヘラってのは、よく分からんけど、彼女の説明では、付き合ってくれないと手首を切るとか、そういうことをする人のことのようだ。ああ、あの診断がつくような人たちのことかと僕は理解した。 僕個人はそういう人とあまりプライベートで付き合いはない。間接的に経験したことはあるけど。 もし、付き合ってくれなかったら手首を切ると言われたら、救急車を呼ぶかそのまま死ぬか、限られた時間内に決めなさいと僕は言うかもしれない。

 そういえば、その種の「脅し」はよくある。「今日カウンセリングしてくれ」と言ってくる。僕は当日の面接を受け付けないので、今日はダメですと断る。明日にしてくださいとお願いする。相手は言う。「死んだらどうしてくれるのですか」と。僕は「何言っているんですか」と答える。ものすごい勢いで電話が切れる。それでいいのだ。そんなもので人が動いてくれるなどと学ばれたら社会にとっても大迷惑なことである。 こういうのは気が強いとは言わないのだ。何が何でも自分の意思を押し通すという感じの行動は気が強いわけではないのだ。DVのことで来談されるクライアントが相手のことをそう言うことがよくある。奥さんはどんな人だったのですかなどと尋ねると「すごく気が強かったですね」などと彼らは答える。 思い通りに事が運ばなくても堂々としていられるほど気が強いわけではないのだ。それはせいぜい「我が強い」とでも言うものだ。本当は少しでも思い通りに行かなければ激しく動揺して、どんな手を使ってでも思い通りのことを押し通そうとしているわけだからである。

それがメンヘラとやらと同じかどうかは何とも言えないけど、それなりに共通した心理があるように僕は思っている。

 本当に、人間になることは難しいことだ。どの人も自分は人間だと信じていると思う。でも、それは単にヒト科であるということに過ぎない。ヒト科として生まれ、そこから人間になっていくことは多難な道のりである。メンヘラと呼ばれる人たちも、きっと人間として生きることに困難を感じている人たちなんだろう。人間社会で生きていくことに困難を覚えている人たちだろうと思う。その人たちがメンヘラにならざるを得なかった理由もあるだろうとは思うけど、それでは人間として生きていけないから問題になるのだ。

 昔、スパルタの国では、国に貢献できない人は容赦なく切り捨てられた。周囲に敵国に囲まれていたとか、そうした状況も影響しているのだろうけど、役に立たない人間は生きていけないという世界だった。現代はもう少しましであるが、例えば社会や企業の常識の中にはそうした考え方が残っているかもしれない。生きるためには切り捨てられないようにしなければならないという一面もあると僕は感じているし、切り捨てられても尚人間として生きていかなければならないのだと思う。 昔の日本でも、借金をした武士は切腹したと言う。主従関係において、主が富を与えているのにも関わらずさらに借財するとは、主に対する裏切り行為になるのだろう。そういうのは武士としては生きていけないということなんだと思う。 いつの時代でも、生きていくことの厳しさがあるものだ。スパルタの国では切り捨てられていただろう身体障碍者も現代では生きていくことができるし、借金まみれの会社員だって死刑になることはない。でも、厳しさがまったくなくなっているわけではないのだと僕は思う。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

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