11月27日(水):セブンの客
今日は午後から外出して、それから高槻に出た。夕方に予約が一件入っているためだ。ところが、この予約は延期になった。まあ、しょうがないか、クライアントさんの都合もある。キャンセルにならなかっただけでも良しとしよう。
急遽時間が空いたので、もう一本ブログを書いておこう。
僕は夜勤をローソンとセブンでやってる。それぞれ違いがあっていいのであるが、最近、客層に関しての違いを感じることが多い。
当然、客層というものは、その店の立地条件などにも左右されるものである。なので、ローソンの客はこうとか、セブンの客はこういう人が多いなどという一般化はできないものである。あくまでも、僕が勤務している店では、という意味だ。
ローソンの方は、一見するとガラが悪そうでありながら、案外、あっさりした客が多いという印象を受ける。セブンの方は、ガラが悪いわけではないんだけれど、変なところでしつこいみたいな客が多いという印象を受けている。前者の客の方がやりやすい。
この1,2週間、セブンの方の客にやたらとイラっとくる。
先日の高齢の男性客もそうだ。たまに来る。寝られないとか言って、お酒を買っていかれる。それはいい。その後で面倒なことになる場合がけっこうある。
先日のはこうだ。彼は3時過ぎに買い物に来た。パンとカップ酒を買っていかれた。例のごとく、眠れないなどと言いながら。
4時半ころ、彼が店に戻ってきた。お釣りを取り忘れたという。一万円札で払って、お釣りを取り忘れたというのだ。
セブンの場合、そんなことはあり得ない。もし、客がお釣りを取り忘れたら、つまりレジにお釣りが残っていたら、次の会計ができないからである。レジがそのように設定されているからである。
でも、お釣りが出たのに取り忘れて、次の客がそれを取っていったかもしれないなどと彼は考える。それもあり得ない。レジは次の会計ができないだけでなく、お釣りが残っていると音が鳴るからである。店員側の画面にはそのことが表示されるから、店員も気づかないはずがない。
僕はジャーナルで調べてみた。この人は300円ほどの買い物をしたのだけれど、その金額ちょうどを支払っているのである。だから、そもそもお釣りなんかなかったのである。僕はその旨を伝える。
すると、彼は小銭を出したときに一万円札を出してレジ前辺りに置いたかもしれないなどと言い出す。それも考えられないことである。仮にそうだとしても、それで一万円札を紛失したのなら、それは店側ではなく、客のほうの過失である。
彼の鬱陶しいところは、店側に悪を投影していることである。酔っぱらっているというのもあるかもしれないけれど、貧困妄想なのだと僕は思っている。
そもそも、お釣りを取り忘れたというエピソードが、少なくともこの店では実現していないのだ。彼の方の思い違いである。あるいは、他の店でのエピソードと混乱しているか(これもこれで一つの病理であるのだが)である。
本当に彼の財布に一万円札が入っていたと仮定すると、この店で紛失した可能性よりも、外でそうなった可能性の方が高いはずである。家を出てから店にくるまでの間に紛失している可能性も払拭できないのである。それに、そもそも、買い物してから戻ってくるまでの1時間半はどこで何をしていたのか。その間に紛失したと考える方が現実的ではないだろうか。買い物して、その後店の外でパンを食べ、カップ酒を飲んだとしても、それだけの時間がかかるとは思えない。
しかし、彼はこの現実的な仮定の方を拒否する。あくまでもこの店で紛失したという観念に囚われ続ける。この訂正不能な感じが妄想的なのである。
そして、先に述べたけれど、本当に最初から財布に一万円札が入っていたのかどうかという疑いも残る。彼は入っていたと主張するけれど、怪しいものである。彼の記憶そのものが当てにならないからである。
この男の口癖は「絶対やな」というものである。これもいちいち鬱陶しいのだけれど、要するに、外部に絶対確実な保証を求めているわけなので、相対的に自己を頼りないものとして体験されているだろうと思われるのだ。自分自身がアヤフヤなのだと思う。そういう人がモノを言ってるわけだから、言っていることもアヤフヤなことが多いわけだ。
ちなみに、この男が以前に来た時は、金が振り込まれていないとか、そんなことを訴えていた。そんなの朝一番に銀行に行って記帳してみれば済む話である。振り込まれていないというのであれば、相手に連絡を取って請求すればいいだけのことである。コンビニで店員つかまえてタラタラ話すようなことではあるまいに。でも、これも妄想であるかもしれない。どうも基本的に金を失う(貧困)ということと、誰かが奪うとか妨害している(被害)ということが共通している。貧困妄想と被害妄想の混合であるようだ。
この他のもイラっとさせられる客が数人、僕の頭の中に浮かんでいる。それもいちいち書き連ねていこうかと思うのだけれど、面倒くさくなった。結局、その客個人の問題なのである。それを自分の問題とみなさず、店員に投影しているだけなのである。当人がそこに気づかないのだから治しようもないわけである。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)