11月26日:クリスマスの思い出

11月26日(土)クリスマスの思い出

 

 昨日、約束したように、今日は楽しい話をと思っていたのであるが、困ったことに愉しい話が何もないのである。うーむ、これは非常に困ったことである。つくづく面白味のない人間である。

 そろそろクリスマスの飾りつけをされているお店などを見かけるようになった。それならクリスマスに関して愉しい思い出話をと思ったのであるが、よく考えると、愉しいクリスマスの思い出などというものは、僕にはないなと思い至ったのである。強いて挙げれば、次のような思い出だけである。

 若い頃に、クリスマスイブの夜に独りで酒を呑みに行くという暴挙をしたことがある。いつもは大して忙しくもないバーなのに、その日に限って次から次にアベックが入ってくるのである。カウンターはアベックばかりになり、男―女―男―女―男――男―女―男―女と、僕のところでリズムが狂うのである(アンダーラインの男が僕である)。これではいかんなと思い、店を換える。二軒目のバーでも僕はカウンターで独り呑んでいた。やはりアベックが入ってくる。席が埋まってくると、バーテンダーが「席を一つ移ってもらえませんか」と頼んでくる。僕は別にそれは構わないよと言って、席をずれる。次の一組が入ってくると、僕はさらに席を移る。そうしてアベックが席に着く度に、僕が移動していって、最後はカウンターのものすごい端っこで、レジを前にして飲んでいた。カウンターの幅三分の二がレジで、三分の一のスペースで僕は独りで飲んでいたのである。しかも、このバーテンダーが非常によくできた人で、一人で飲んでいる僕に「どなたかお待ちですか」とか「お連れの方が来られるのですか」などと決して訊かなかったのである。恐らく、僕自身、「独り者」オーラをプンプン発散させていたのだろうと思う。

 コンビニでバイトしていた頃は、クリスマスが愉しみだった。この日はアベックでケーキなどを買いにくるのである。そのアベックを見ては、「この二人はいずれ別れるな」とか「これは即席のなんちゃってカップルだな」などという賭けを個人的にするのである。「お幸せに」などと決して思わないのである。この辺り、自分でも性格が悪いなと感じるのである。

 ちなみに、この賭けであるが、けっこう勝っていたのである。勝ったと言っても、一人で勝手にやっていることなのであり、実際には確かめようもないのであるが。別れる方に賭けたカップルというのは、次の二つのうちのどちらかが確認されたものである。一つは、男女の関係ではなく、親子のような関係が確認された場合。もう一つは、カップルの片方、もしくは双方が自然体でないと思われた時である。自然体でないというのは、無理をしているということである。これらが確認された場合、僕は「別れる」の方に賭けるのである。一方、「なんちゃってカップル」に賭けるのは、それよりもはるかに簡単で、二人が明らかによそよそしいのである。また、コンビニというのは常連になる人が多いのであるが、一度も女性を連れたことのない常連の男性客が、その日に限って女性を連れてきたというような場合、僕は「怪しい」と思ってしまうのである。

 クリスマスの愉しい思い出と言えば、それくらいである。結局、面白くもない話に付き合わせた上に、僕の性格の悪さばかりが露呈したような感じがしないでもない。うーむ、こんなことを書いていたのでは、数少ない貴重なファンを失うかもしれない。どうか懲りずに明日も読んでください、お願いします。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

 

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